如雨と而酔のページ>日々雑想2004

     

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▽この年の最初の稿


2004年12月29日 (水)

 異常気象と自然災害の年


  今日東京は初雪、今年(2004年)の気象を思い返してみました。
  今年は異常気象や自然災害の多い年でした。
  春の訪れが早く東京での桜の開花が3月18日と記録を更新しましたが、暖かさを通り越して暑さに至るのも早く、5月11日には最初の真夏日となりました。
梅雨明けも一週間早く7月13日(関東)、各地で最高気温の記録を塗り替え、東京では39.5度(7/20)まで上がり、真夏日も9月30日まで79日となりました。
  台風は6月には早くも上陸、10月までこれも新記録の10個(平均は4.6個だそうです)もの台風が日本列島に襲いかかりました。風水害の被害は甚大でした。
  そして、新潟県中越大地震、未だに大きな余震がありあらためてその規模の大きさと地下構造の複雑さを感じさせます。
  来年は「災」(清水寺の今年の一字漢字)から転じて「福」にと願っています。
   よいお年をお迎え下さい。

2004年12月26日 (日)

 残 り 五 日


  9月に「啄木雑想書き流し」の体裁を改めたのから始めて、結局この「日々雑想」まですべて衣装を変えた。統一性のようなものが出て少しは恰好がよくなったかな。
  従前の「日々雑想」はプロバイダーの日記ツールを使っていたので、デザインが限られ使い勝手が悪かったので、自前のページに改めた次第。

  今年もあと5日、顧みて思うことが多い年だった。退職から半年、何をしたというほどではなく、考えていたよりずっと'成果'は少ないが、しかし、時間が余ることはなかった。追われることがなく時間をゆったりと使うようになったのかも知れない。
  来年は―― 、喪中で初詣に行かず、年賀状の来ないお正月に考えましょう。
  来るべき酉年は「自分の上限にチャレンジし持てる力と才能を磨いて幸せに向かって飛び上がる年。」という。来るべき年が努力が報われる飛躍の年となりますよう。

2004年12月5日 (日)

 京 都 の も み じ


  今年も結局紅葉の京都に出掛けた。
京都真如堂のもみじ
京都真如堂のもみじ
  3日間で山科の毘沙門堂、蹴上の何有荘(かいうそう)、南禅寺、永観堂あたりから哲学の道を行き、法然院、銀閣寺、洛北初の上賀茂神社、大徳寺・東桐院、真如堂とまわる。
  今年はやめようかなどと逡巡しているうちに11月末の休日明けしか宿が取れなくて、暖かい秋の進行にかすかに望みをつないでの京都行であった。
  昨年は21~23日と最高の日取りだったが、総じて色づきが悪く混雑のピークでもあったのと比べれば、見頃を過ぎたところもあったものの、好天に恵まれ予想よりかなり良い装いで満足できるものだった。
  南禅寺付近の「何有荘」は偶然通りかかったのだが、百年ぶりの一般公開とかで、手入れが行き届いているとはいえないが、広い庭園の大きな楓が素晴らしかった。真正極楽寺真如堂ももう一度みたい程見事だった。
  写真の一部を「京都紅葉'04」にスライドショーとして載せたのでご覧下さい。

2004年11月28日 (日)

 ゴ  ル  フ


  昨日雲ひとつない好天の下、ゴルフを楽しんだ。14人のメンバーのコンペで、小生が幹事だった。
  そのせいではないがいまひとつまとまらないスコア。最近はハーフのどちらかが悪いか、どっちも悪いかであり、進歩がないどころか下降へのターニングポイントにきているように思う。年齢をとるとショートゲームが上手くなり飛距離の落ちをカバーするようになるという。が、小生、たまさかいいティーショットもないではないが、まだまだ短いアプローチではミスを重ねる。
  でも、澄んだ青空のもとで気のおけない方とプレーすると心身ともにリフレッシュされる感じがする。帰途、もっとリフレッシュしようとちょっと一杯、が少し過ごした。

2004年11月5日 (金)

 新潟中越大地震


  10月23日夕刻の新潟県中越地方の大地震は、こんなことがあるものかと思わせるほど恐ろしい。フォッサマグナ地帯であるが故に強い余震が続き片付けもままならない状況も長く続く。
  被災者は命を失った方は勿論であるが、生産手段である田畑、生活を支える家畜や鯉を失い、職場の被災で職を失い、まことに気の毒で同情を禁じえない。新潟に勤務したことがあるだけに身に沁みている。
  義捐金やボランティアなどの支援が相次いでいるという。地震列島日本住民としての一体意識だろう。これには嬉しさいや勝る。
  地域の復活、復興と心の建て直しの早からんことを切に願う。今年はなんと自然災害の多い年であったか。もう打ち止めに願いたい。

2004年10月18日 (月)

 あの暑さはどこへ


  ここひと月、新潟、仙台、北海道、仙台と出掛け半分ほど不在だった。無論北の気候はすでに秋の姿ではあったのだが、一月前までのあの暑さは本当だっだのだろうかと思うほど、東京も 「秋冷」を感じる時候となった。
 しばらく振りにショッピングセンターに寄ってみた。すでに売り場は冬の様相だった。来年のカレンダー、手帳はそういう時期かと思ったが、早くもクリスマス用品、暖房器具、冬もの衣料が並んでいる。まだ夏ものの片付けが済んでいない小生の季節感には合わないが、季節の移ろいは実感する。
  やらねばならないことが大分貯まった。もう、暑くてとても何も出来ない、という言い訳は出来ない。

>2004年9月20日 (月)

 「おさけ」表紙変更


  今日彼岸の入り、真夏日最多記録更新かといわれたが薄曇の空では成るまい。暑い暑いと言ってきた夏もようやく終わりそうだ。
  そんな時期「おさけ」の表紙を啄木のそれにならって衣替えをした。本当は中身を追加充実すべきことは承知している。ましてあと10日で日本酒の日、熟成した「冷おろし」が美味い時節。秋は何かと行事・用事の多いときだが、何とかそのうち一稿入れたいとは思っている。

2004年9月8日 (水)

 Web通常に復旧、啄木幻想UP


  3か月ほどインターネットがセーフモードでしか繋がらなくなっていた。
  通常モードとの切り替えが面倒なことは勿論だが、セーフモードは中央に4分の1程度の小さい画面しか表示されず、使い勝手が悪い。
  再インストールも覚悟していたが、Firewallが期限の切れるのを機にこれまでのVirus関連のプログラムを削除、別のVirusソフトの変えたところ、なんと、復旧した。常駐ソフトがプログラムのインストールを邪魔する経験は以前にもあったが、今回は思いが及ばなかった。
  この間はホームページを更新する気も薄らぎしばらく放っておく仕儀になった(弁解!)。
  復旧を記念して?一昨日「啄木雑想」に「啄木幻想-はじめの恋」を載せた。続くかどうか自信はない。
  今年は台風が多い。夜中じゅうの間断ない風雨の音に苛まれ、今朝も寝不足の目をショボショボさせている。異常な長い暑さの夏を経て台風も多いのは気候の落着きがなくなってきた(温暖化?)ということか。

2004年8月23日 (月)

  陽気とどまりて―


  今日処暑、暑さの処(や)む頃とはいうが、40日ほど先の気温まで一気に進んだのは慌て過ぎか。
  さしもの百日紅(ひゃくじつこう=サルスベリ)もここに至り、花がらが増え一部は丸い緑の実に変わり、夏を彩り続けてきた淡紅の細かな花の群れも姿を小さくしている。そういえばかまびすしい蝉の声もめっきり減った。
  ここまで暑さに苛まれると多少の残暑はやむなし、と思えてくる。活動に適した時候も近い。

  真夜中、寝付かれぬまま結局、五輪女子マラソンの中継を観た。雑念二つ。
  起伏の多いコースに夕刻とはいえ尋常でない暑さが重なり、「マラソンは人生に似ている」とよく言われる言葉を思った。そして、苦難を超え野口みずきはめでたくウィナーとなったが、マラソンに似てはいても人生には勝者はない、とも。
  もうひとつは、ここに高橋尚子が居たら、と。

2004年8月7日 (土)

 暑 さ の 記 録


  秋立つ日だが、昨日からとくに湿度が高く水蒸気が体にまとわりついてくる。
  酷暑の7月の数字を記録にとどめておこう(東京地方)。
  平年の真夏の気温は7月23日に30.0℃を超え、8月2日から8日間31.2℃のピークをつづけ、その後少しずつ下がり、8月31日に30.0℃に戻る。今年は5月11日に早々と真夏日を記録、以降今日まで44日もの真夏日である(昨夏は38日)。
  おお、やだやだ。せめて平年並みにしてくれ。
  この夏早々わが部屋のエアコンが故障、26日の新機取付まで眠られぬ夜を幾たび過ごしたか。暑さに殊のほかこだわる所以である。
  せめて立秋という語に涼しさへの旅立ちを感じてみようか。と、キーを叩いているうちに、激しい夕立、ありがたい。

2004年7月24日 (土)

 お 暑 う ご ざ い ま す。


  東京は炎暑の日が続き、○○日連続の真夏日ということはニュースにもならず、今年はもうひと夏を終わり、東北などの梅雨明けを機に2回目の夏に入ったようだ。これからが夏本番などとはとても思えず、もう涼風のなかでヒグラシが鳴いてもらいたい頃合だ。庭もすっかり乾き、夕立を待つもわが地域にはやって来ない。
  20日の最高気温39.5℃には驚いた。この熱風のさなか以前の職場の有志OB会があり、年長の先輩にゆっくり歩きましょうなどと親切ごかしていたが、自身も堪えがたかったのが本当のところだ。勝手に「烈暑」と名づけた。
  勤めを終えてひと月、すっかり夏休みを過ごしている気分で、退屈は勿論せず、焦りも慌てもせず、有難くゆっくりと過ごしている。やりたいこともやらなければならないこともこの暑さで殆ど手着かずで、やることいっぱい、前途洋々である。

2004年7月1日 (木)

 今年も半分過ぎました


  今年も半分が過ぎた。この間大きな終わりがふたつあった。母の死と勤め人の終了。いずれも長い人生のなかで一度しか遭遇しない大事である。
  今日から勤め人卒業の区切りをつけたい気分で、予定どおり41年付き合った日経を止めた。勉強はしないという宣言ではないが、新しい生活への転換をあえて意識したいと思うからである。
  今朝は間違って配達されたがもちろんあえて見ない。

  「1年後には会社からフリーになるかも知れず、その時のために頭の体操の材料になるのではと期待して」ホームページを始めてから、ちょうど一年が過ぎた。悪戦苦闘しながら少しずつページを増やし、体裁も修正してきた。しばらく手を入れていないページもあるので、初心に戻って追加していこうと思っている。

  今日は、防衛庁・自衛隊が発足した日(昭和29年=1954年)。50年の歳月は、議論なく多国籍軍参加を決めるなど戦争への緊張感を喪失させた。

2004年6月25日 (金)

 勤 め 人 卒 業


  一昨23日、41年余の勤め人生活を卒業した。任期満了だから退職辞令もなく、ただその時が過ぎて、職業人の長い日々が終わった。
万歳!   まだ2日、それほど解放されたという実感も、頼るべき大樹を失ったという喪失感もないが、ある期間を過ぎるとだんだん虚しさを感じるようになるのだろう。
  やりたいことはいろいろあるが、体力の低下とともに集中力が衰えてきているのでどれだけ出来るか。尤も当面は積年の垢落とし、塒の整理だけで手いっぱいであるが。
  基は何よりも健康、年齢相応の生活パターンを早く築かなければなるまい。そんなに慌てることもないか。

    <夏に入る抽斗総会資料のみ>
    <梅雨晴れや入館証を返しけり>


2004年5月10日 (月)

 父 七 回 忌 と 母 百 ヶ 日


  父の七回忌と母の百ヶ日の法要を終えた。5月の仙台はすっきり晴れてケヤキの若葉の透きとおる緑が清々しかった。
  百ヶ日は異名は卒哭忌(そっこうき)、嘆き悲しみ哭くのもこのあたりまでという意。墓参の後、兄弟妹5人がそれぞれ配偶者を伴い初めて全員で旅館泊まり込みの懇親会をした。思い出をいっぱい語る中で、寂しさも悲しさも薄らぐようだった。
  父母ともにこの世を去り古い家も無人となったが、片付はしてもまだ姿を変える気にはならない。なお、七回忌の異名は遠波忌(おんばき)というのだそうだ。

  「啄木雑想」5月3日アップの第12回を以って「終焉」とした。その末尾にご挨拶を記したが、駄文をお読みいただいた方々に改めて御礼申し上げたい。

2004年4月25日 (日)

 読みやすいよう体裁を整えました


  「啄木」の最終稿をまとめようと思って、これまでの稿を読み返してみた。しかし、中身よりも体裁のほうが気になってしまい、結局は面倒な原稿書きはやめて、全体の形を揃えたり、読みやすいように行間を少し広げたり、という'作業'をする結果となった。
  スタイルシート=CSSのほんの入口部分だがこれを応用させてもらいながら、一年生が初めて習うような気分でやったので、少しは頭の体操になったかと慰めている。
  「サブノート」「お台場」もどこが切れ目か判然としないような作り方だったので、これも手を入れた。
  夏のような日が続いたと思ったら、週末は春未だしと感じさせるような冷たい雨、風が戻ってきた。気温差が激しい時節、年寄りは特に気をつけましょう。

2004年4月12日 (月)

 啄木雑想11回「酒」をアップ


  一月遅れとなったが、ようやく啄木雑想11回目をアップした。
明13日は啄木忌。ちょうど一年前に別のホームページのために書き始め、この日に12~13回の連載を終えようという計画だった。遅れはしたが、忌月である今月中に終了したいと思っているのだが。
  今回は、啄木の嗜好-酒を採りあげた。而酔をも名乗る以上、触れないわけにはいかない。
  酒でさえも、啄木にかかれば、さびしく、重苦しいものになってしまう。今回の稿を書きながら、もう少し明るい、愉しい酒の歌を残して欲しかったと思ったことである。

2004年4月7日 (水)

 「お台場の桜」を写真帖に


  昨年朝日新聞で話題になった第3台場の桜を見ようと、5日、カメラを持って出かけた。昨年は記事が出たころはすでに葉ざくら、今年も遅いかなと思ったが運良く満開の桜に出会えた。
  海浜公園等のものも加え「お台場の桜」としてUPしたので見てください。
  なお、アクアシティの周りに100本以上の桜の若木(ソメイヨシノと河津サクラ)が植えられた。今年はチラホラ、生きているしるしだけの花だったが、10年後20年後が楽しみである。

2004年3月30日 (火)

 忌  明  け


  母の四十九日の法要を終え、続いていた何ともいえぬ虚しさが幾分かは去った気がしている。まだ処理すべき事柄は多いが、これは順次片付けていけるばいいので、まずは一区切りである。
  とはいえ、この間雑事もありなかなか原稿を書く気が起こらず、「啄木雑想」も今日明日中の掲載は無理、遺憾ながら越月する。自分への叱咤が足りず申し訳ない。
  ひとつ年をとった。感慨とてないが勤め人生活の終わりが近づいているという認識は強まった。

    <梅一輪忌明けを待ちて開きけり>
    <梅一輪咲きて忌明けの餅を食む>

2004年2月12日 (木)

  無意味な作業


  何かしなければならないと思いながら、この2,3日何の役にも立たない、このホームページをいじることをなんとなくやっている。
  「啄木雑想」を1回ずつページを改めるように変え、ついでにmarginを揃えたり、「おさけ」の目次の並べ方にちょっと恰好つけたり、「清酒の表示基準」の背景色と文字色を変えたり、―― (ページめくりの時のフェードアウト/インはもう少し前に修正)。
  纏まったことは勿論できないが、何もしないではいられない。ま、いいか。無駄は余裕に通ずる。

2004年2月11日 (水)

 母  逝  去


  元日の帰省は、実は母が一時退院し正月を自宅で家族(=われら子供ら)と過ごすためだった。
  母にとって最後の正月になることも、22日が最後の誕生日となることも分かっていた。入院2カ月、誕生日から10日後に旅立った。米寿の祝いも、父の七回忌を揃って営むはずだったのも、叶わなくなった。
  通夜の夜降り出した雪は地表をすべて覆い、翌朝やわらかい冬日とともにすずやかな葬儀を演出してくれた。
  10日目を過ごしながら、寂しいとか悲しいとかいう想いではなく、なかなか衰えてくれそうにない虚しさを感じている。
    合 掌


2004年1月3日 (土)

 新年おめでとうございます


  新年おめでとうございます。
  所用で6年ぶりに新年の仙台に帰った。車窓に見る蔵王は頂付近にわずかに雲がかかっていたが、白雪が新しい年のまばゆい陽光に輝いていて、清涼な気分になった。
  もっとも新幹線になってからトンネル続きでほんの短い間しかこの山を望めないようになってしまって残念だが。
  社会人になった年、大晦日10時半茶碗酒でほろ酔い気分になって職場を出て除夜の鐘を品川駅で聞き、深夜1時半の臨時急行で帰省したことを思い出した。
  朝日が蔵王全体を荘厳に浮かび上がらせるのを飽かず眺めて、ふと衝いてでた「蔵王の歌」を口ずさんだ。岩手山と並んで蔵王も故郷の山である。
  やはり新年は何かを思い出し、考えますね。
  「蔵王の歌」、「サブノート」に入れておきます。著作権大丈夫だろうな?



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2004年