如雨と而酔のページ>日々雑想2011
     

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▽この年の最初の稿


2011年12月08日 (木)

 京都に紅葉を観る


  11月末から月を跨いで京都に行った。昨年は同時期に山陰に向かったので2年振りの京紅葉。京都行も10数年来度重なり有名な所はほぼ訪れているが、それでも京都の紅葉には魅かれる。
宇治・興聖寺
宇治・興聖寺
  11時前京都駅に降り立ち、行先選びに困りながらも、まず宇治に向かう。橋寺(放生院常光寺)から宇治川沿いに上り興聖寺こうしょうじに着く。紅葉の時季のこの寺は初めて。参道の暗みがなかなか趣がある。宇治神社、世界遺産・宇治上神社等を再訪し、宇治川の中洲を通り平等院側に行くが、3度目の平等院は時間もなく今回はパス、この日は終り。

嵯峨野奥・愛宕念仏寺の菩薩たち
愛宕念仏寺の菩薩たち
嵯峨野・化野念仏寺
嵯峨野・化野念仏寺
  2日目は、バスでほぼ1時間、嵯峨野の最奥、愛宕おたぎ念仏寺に。紅葉の境内に千二百羅漢が並ぶ。一般の人が掘ったものといい、子を抱く菩薩も、酒を酌み交わす菩薩もいて、よく見るとなかなか面白い。
  緩い下り坂をゆっくり歩き、茅葺屋根も残る古い町並の鳥居本を経て、化野あだしの念仏寺に入る。新緑のころに来たことはあるが、ここの紅葉は予想外に良く好天の中行きつ戻りつしながら、思わずほォと声が出る。
洛西・松尾大社の辰年開運絵馬
洛西・松尾大社の辰年開運絵馬
太秦・広隆寺境内
太秦・広隆寺境内
  何度も来ている祇王寺・二尊院・常寂光寺は通り過ぎる、が、必ず寄る落柿舎に入り、去来の墓に詣で、野宮神社を参拝する頃には辺りが急に薄暗くなり時雨がぱらぱら。
  時間を気にしながら嵐電で「日本第一酒造神」松尾まつのお大社に。丁度12年前(日誌を調べたら28日だった)にも参詣、御守、辰年の開運絵馬を頂いたが、今回はお参り前にまず絵馬を求める。本殿を参拝して戻ったら、神札等の授け所は閉じられていた。間一髪。この時期は最も日暮れが早い。

  最終3日目はどうしよう。迷いながらも、近場なので東寺とともに残しておいた、京都最古の創建と言われる太秦の広隆寺に向かう。
洛中・阿弥陀寺
洛中・阿弥陀寺
洛中相国寺塔頭・雁の寺
洛中・相国寺塔頭「雁の寺」
多くの国宝・重文仏像を安置する霊宝殿で弥勒菩薩半跏蔵を拝観する。この菩薩のやさしいお顔の鋳造飾りが、どこで求めたか忘れたが、ごく若いころからある。懐しい感じさえした。広い境内の紅葉もよろしい。
  さて、次は―と。三条からバスで賀茂川沿いを北行15分、ほとんど人通りのない道を歩き、山門の前に「織田信長公本廟」の石柱が立つ阿弥陀寺に参る。信長の墓は大徳寺・総見院にもある。たった一本の紅葉が私をこの寺に誘った。たった一本だからいいのかもしれない。最盛の色づきだった。
  徒歩での帰り道は、御霊ごりょう神社、相国寺しょうこくじ、「雁の寺」瑞春院に立ち寄り、紅葉を観る。この時季の京都はどこの社寺でも紅葉・黄葉が美しい。訪京時期を遅らせたのが正解だった。
  混雑の地下鉄、疲れた脚を踏ん張りながら、京都駅に。
  来年はどうしようか、と無駄に先のことを考えながら、旅仕舞い。

(写真を入れましたー'12.01.03)


2011年11月11日 (金)

 また寒さがやってきて……。ちょっと盛岡に


  1が6つ並ぶ今日、大震災発生から8か月目の「月命日」となった。
  前回「果してこれからの生活は如何?」と書いたが、暑い真夏を経て被災地に冬がやってきた。仮設住宅の寒さが伝えられる。避難先が雪深いところだと歩くことから慣れない生活を強いられる。
  国会中継を聞いていると(ラジオ派である)被災地の悲惨さを訴える議員の切々たる声が聞こえてくる。答弁は何かはぐらかしているように思えた。内閣が変わっても目立って復旧復興が進んでいるようには見えないのだが。
  最近盛岡に行った。国際啄木学会2011盛岡大会(別掲岩手日報の記事参照)に出るためであったが、その中に甚大な被害を蒙った宮古市の市長を3期務めた熊坂義裕医師の特別講演があった。被災後の貧弱な医療体制のもとでの患者の痛みや、自ら現地に入り撮影した写真を多数示しながら災害の激甚さと息の長い支援を訴えていた。現実はマスコミ映像が伝える以上に酷いことは明らかだ。
「1」並びのこの日が誕生日の2人の身近い人がいる。1人は津波に家を奪われた友人である。
  やはり「11日」は気になる。

2011年10月11日 (火)

 また11日


  今日大震災の「月命日」も6回目(発生から7カ月)となった。
  石巻ではすべての避難所が閉鎖されたという。対策が進んでいることを意味するなら結構なことだが、果して、これからの生活は如何?
  野田新内閣になって復旧復興が進んでいるのどうか。進捗に格差があるとも言われる。国会の中継で議員が質問の中で伝える現地の状態は悲惨でさえある。やはり「まだ、まだ」なのだろう。
  冬になる前にしなければならないことがいっぱいある。すぐに実行してほしい。被災者を苛立たせるのはもうやめにして貰いたい。2万人の犠牲者の尊い命に報いるためにも。
  どうしても「11日」は気にせざるを得ない。

2011年10月05日 (水)

 高崎の達磨寺・観音


高崎少林山達磨寺   俳句同人会の総会と俳誌復刊20周年祝賀会出席のために高崎に行った。
  高崎には何度も足を踏み入れてはいるが、いつもの会場と由縁の鬼城草庵のほかはどこも見ていない。
高崎白衣観音   二次会の席、遅くなっても小生に帰る気配がないのを訝ったのに対し、今夜は泊って明日市内各所をぶらり散策するつもりと答えた。これを聞いていた地元の俳人ご夫妻が、会の設営運営等でお疲れだろうにご案内して下さるとのこと。ご親切に感謝しありがたく受ける。
  高崎のダルマを有名にした少林山達磨寺、列車からも見える白衣大観音。いずれも高所にあるがクルマで手際よく廻る。
渋川の蕎麦の花   達磨寺は江戸元禄期創建の古刹、高さ41.8mの温顔の観音は昭和11年建立の高崎のシンボル。手打ち蕎麦の昼食を頂いた後渋川まで駆け、赤城山麓を一望できる今が盛りの蕎麦畑で大きく息を吸う。
  今年は震災の影響や体調のこともあり、秋田への途次数時間、やや時季を過ぎた角館の桜を見ただけで、ほとんど出掛けていなかったので、案内していただいた夫妻に感謝しながら、大旅行をしたような気分で帰った。
  今日達磨忌、5日前のことである。

2011年09月11日 (日)

 「11」の日


 今日は、二重の追悼・鎮魂の日である。言うまでもなく、米国同時多発テロ事件から丁度10年、東日本大震災から半年、に当たる日である。
 前稿から2カ月、いろいろと思いはあったが、暑さに(かま)けて長い期間空けてしまった。この間これまで知られてなかったことがいろいろ明らかになった。いくつかの例。

▽ 福島原発事故で放出された放射性物質のセシウム137は広島原爆168個分、ヨウ素131は約2.5倍だった。……8月26日原子力安全・保安院が公表。
(セシウム137は原発事故では1万5000T・Bq、原爆は89 T・Bq。ヨウ素131は原発事故では16万T・Bqで、原爆の6万3000T・Bqの約2.5倍。[注] T・Bq=tera・becquerel=テラ・ベクレル=1Bqの1兆倍)
▽ 水素爆発のとき、できるだけ遠くに逃げなければと住民が緊急に避難した安全なはずの場所は「ホットスポット」だった。放射性物質の拡散情報は、パニックが起こらないようという理由で公表されなかった。
▽東電の当時の清水正孝社長が3月15日、作業員を同原発から全面撤退させたいと枝野官房長官(当時)に申し出た。菅首相が東電本社に乗り込むという普通でない行動は、撤退を食い止めようしたのだということが分かった。
▽ 7月27日衆院厚労委員会で東大児玉龍彦教授が行った福島原発事故に関する参考人供述は重大な事実を伝え、除染等早急な対策を訴えた 。が、新聞・TVは何故かほとんど無視した。
放射線量が100km圏で5μSv、200km圏で0.5μSvもある。総放出量は、熱量は広島原爆の29.6個分相当、ウラン換算では20個分が漏出。等々。
(全文が下記で見られます。
    http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-626.html )

 原発のことばかりになったが、地震・津波の被災地では、雪も降る寒い早春から例年にない酷暑の夏を超えても、「対策が遅い」という声が強い。新内閣はどれだけ対策が進められるか、期待を持って見守りたい。
 「11」=ELEVENと言えば、なでしこジャパンの女子サッカーW杯優勝、ロンドン五輪出場決定。明るいニュースもありました。ニュージーランドW杯最中のラグビーは15人でしたっけ。

2011年07月11日 (月)

 大震災から4ヶ月


 今日で4ケ月、また大震災の「月命日」となった。黙祷。
「もう」とも「まだ」とも思う。
 「もう」これだけの日々が過ぎたのに復旧復興の歩みの鈍さに苦しんでいる被災者が「まだ」大勢居られること、「もう」忌わしいあの日を葬りたい気分だが、あまり伝えられなかった被害も多く、「まだ」そうはいかないという思い。 原発対応はまったくの「まだ」「まだ」。
 この震災の死者は1万5,547人、行方不明者が5,344人、合わせると2万0,891人となっている(警察庁7/10発表)。
 行方不明者が減り、明治29年の明治三陸地震の犠牲者約2万2,000人は超えないとの報道コメント。「記録」の問題ではなかろうに。一人ひとりに命はたったひとつ、みな同じ。
 1ケ月目、3ケ月目に記した原発を含む事態の進展も、それへの感想もそれほど変わらないのは残念というべきか。
震災から○日の画面  パソコンに毎日右のような画面を開く。今日は123日目かと改めて思いながら、無念さは消えない。

 うれしい話も届いた。一つは、福島原発地域出身の同期生から、3か月以上行方が分からなかった年老いた叔母さん二人が避難して存命と判明したとの報(あと一人の叔母は未だに不明)。
 もう一つは、震災で閉じた仙台の小料理店が周囲に背中を押され4か月で新規巻き直しの開店に漕ぎつけたという挨拶状。
 夏の到来が早くすでに暑気中りもでているこの頃、わずかではあるが、清涼感。

ここをクリックすれば"震災から○日の画面"が出ます。その画面を右クリックして<ソースの表示>からソースを開き、また右クリックして「すべて選択」してご自分のPCにメモ帳にコピーし、拡張子を「html」として保存すれば、同じものが表示できます。誕生日から―、など文言を直せばいろいろ応用できます)

2011年06月11日 (土)

 大震災から3ヶ月・友人の家を取り巻く大津波の写真


  今日で東日本大震災から3カ月。死者は1万5,000人、行方不明者も8,000人に上る。 捜索は続くが、原発事故による立入り規制も妨げとなり、遺体発見も身元確認も困難になってきているという。また、約9万人の方々が何時までとも知れず避難所に居て(こら)えている。

 ※ '11.06.11警察庁発表で、死亡15,405人、行方不明8,095人、避難者88,361人。 

宮城・山元町を襲った大津波1
宮城・山元町を襲った大津波1-海岸から2㎞
近く離れている-山元町の友人撮影
 前稿から2ヶ月を過ぎたが、事態は目立って改善されでいるようにはみえない。
 原発事故は、関係者が否定しつづけたメルトダウン(最近一段上?の「メルトスルー」といわれる)など次々怖しい事実が報じられ、実際、地元は勿論のこと、遠隔の地の産物まで放射能汚染は拡大している。原発事故については口にしたくないほどの不快感から解放されない。
宮城・山元町を襲った大津波2
左上写真と同じ-'11.3.11.4:35pm撮影
 被災地復興の将来像はまだまったく示されていない。瓦礫(瓦や小石ではないし、財産や思い出の品が含まれ値打ちのないもののたとえとされるガレキとは言いたくないが)の撤去でさえ遅々として進まない。山積みの難題に為政者が本気で立ち向っていると感じさせてもらいたいと思う。

 新幹線運転再開後、GW連休明けに父母の墓参りに仙台に行った。一見何事もなかったような佇いだが、大変な被害を押し隠しつつ耐えているように思えてしようがなかった。
 津波で家を失いはしたが2階に避難して九死に一生を得た古い友人から、津波が退いてゆくとき(と思う)の写真が何枚か送られてきた。助かったと少しは思っていたろうが、恐怖の最中のシャッターだったに違いない。
 うち2枚を拝借、掲載する、忌わしい大災害が二度と起こらぬことを願って記録の為に。

2011年04月11日 (月)

 東日本大震災から1ヶ月


 この未曾有の震災は、ひと月が過ぎてもライフラインの一部の再開等のほかは何も終っていない。復旧に向けての動きが遅くはないか。
 死者13,116人、行方不明者17,377人、避難者は148,000人に上る(11日10時現在)。
 ニュースのトップはこのところずっと原発関連だ。新聞の裏一面もTVラジオ欄ではなく、地震関連だ。原発はこれからさらなる危険が現れるてくるかもしれず、本当に怖ろしい。
  (追記:12日になって事故危険度の評価を「レベル5」からチェリノブイリと同じ最悪レベルの「7」に引き上げた。
  公開されていない情報がいっぱいあるのではないかと、疑心暗鬼になる)

 「普通」ということがいかに大切なことか、いたく思う。防災服ーとってつけたようではあるーではなく早く普通の服装に戻れる状態になるよう切に願う。
'78年の地震の直後開店した仙台の小料理店から閉店の挨拶状が着いた。無念さが推し測られる。これも「被災」である。
 改めて亡くなった方に哀悼の意を表し、被災者、避難者の方にお見舞いを申し上げます。
 気分はまだ落着いていないが、先日桜を観に行った。2.5㎞にわたる小さな川の両岸の桜は満開、何時もと同じくこれでもかというほどの艶やかさだった。少し心が和んだ。
 みちのくも間もなく自然の美しさと優しさを見せようとするように桜が開く。三春滝桜、福島花見山、白石川一目千本櫻、盛岡石割桜等々、今年も見事であろうが、今年の桜は華やかに装いながらも、はらはら散る花びらの涙の方を見てほしいかもしれぬ。

2011年03月28日 (月)

 桜は遅いかな


桜未だしの今の恩田川
桜未だしの今の恩田川
桜満開の恩田川06
桜満開の恩田川
  鈍った体を解すべく、胸塞がるニュースを逃がれるように、昨日、町田の恩田川沿いの遊歩道を辿り、桜の状況を見てきた。
 道々、桜に先駆けて咲く辛夷、木蓮、椿、連翹、沈丁花等が明るさを増した日に輝く。
 さて恩田川。毎年何度かきれいな桜を見に行くが、今はまだ黒っぽいつぼみの中に緑が出始めた程度で、開花はまだまだ先のように思えた。
 今日28日は東京の平均開花日、と書いていたら東京靖国神社の桜の開花宣言があったとの報。だが昨年より6日遅れた。
 3月は身震いするような大震災に加えて寒い日も多く、桜もすこし気おくれしているのかもしれない。

2011年03月24日 (土)

 大震「災」つづく


  巨大地震・津波から今日で2週間目、3日ないし1週間までの災害はある程度自然の猛威の所為だがその後は人災だと言ってきたが、その人災が大きくなってきた。
  大震災の地域は広がり、次々伝えられる惨状は名状しがたい。避難者は未だ25万人を超え、食料、燃料、水、衣類、薬等の欠乏の中で懸命に生きている。報道に接するだけで胸が塞がる思いである。体と心の健康を切にお祈り申し上げる。
  死亡・行方不明者が2万5000人を超え、戦後最大の災厄となった。小生にとって縁の深い東北太平洋側3県で99%以上!を占める。直接の被害額が25兆円にも及ぶ試算も出る。
  飢えと寒さに耐えて10日ぶりに救出された祖母と孫 などの報に心が和むこともある。
  が、一方では福島第一原発の事故は懸命の対策作業に拘らず、事態は悪化の一途をたどっているように見える。野菜・牛乳からの放射能検出に続き、東京の水道水からも出る(今も各地で続々検出と報じられている)。この水を飲まされている。福島県の土壌も放射能汚染という。まだ序の口なのだろうか、この先どこまで続くのか底知れない不安がある。
  シーベルト、ベクレルという単位も恥ずかしながら初めて聞く。高いシーベルト値の中、危険を知りながらそれを顧みず現場の惨状に立ち向かう人が大勢居て胸が痛むが、任務完了と成功を祈るしかない。

  古い友人の無事が一昨日分った。津波に家をとられたが命だけ残してくれた。おめでとう、というのも忸怩たるものがあるが、最大の気懸りが解消、一人で小さく乾杯した。
  梅は終り、辛夷が咲いている。桜も近いが――

2011年03月12日 (土)

 巨大地震・巨大津波、――


三・一一   凄まじいことが起きた。昨日午後に起きた巨大地震の名は東北地方太平洋沖地震M8.8(M9.0に上方修正)、国内最大規模の巨大地震という。瞬間、東京大地震がとうとう来たかと思った。
  宮城栗原市で最大震度7、仙台市宮城野区で震度6強。(若林区七郷中学校で震度7、他広い範囲で震度6強=東北工大調査110426発表)東京でも震度5強~弱。
  それにもまして、直後に襲った津波の恐しさは名状しがたい。TVに映る上空からの名取川河口から上がってくるアメーバのような黒い津波の画面。気仙沼の津波のまき散らした大火事も見たことがない。ほかにも凄惨な映像が続き、体が勝手にかたく身構えて身震いするような有様。親戚、知人の安否も大いに心配だ。
  これからだんだん被害の大きさが判明してくるだろうと思うと、恐ろしい。余震も多いし、大きい。
  地震津波の影響としては大きすぎる福島第一原発の事故が広がらずに収まりますようにと祈る。余りにも多くの報道を見聞きし、思うことも多く、複雑だ。

被災された方々に心からのお見舞いを申し上げます


2011年01月20日 (木)

 大寒、二十日正月


  新年も2旬が過ぎた。今日大寒。
  初詣、初夢、書初、仕事始め、出初め式、七草、平成改元の日、成人の日、鏡開き、歌会始め、どんと祭、小正月、神戸大震災の日、今月今夜の日(!) 等と新しい年の日々が流れ、今日が二十日正月で正月は打止め。
祝い盃   この間小生は人生3度目の入院。ただし今回は検査のためだが、間もなく告げられる結果如何は気になる。
  略毎日典型的冬型の天気図。日本海側は雪だるまマークが消えない。昨年最後の旅行が山陰だったからここの雪は気になる。積雪によって500隻を超える船がひっくり返るなどということは聞いたことがない。数年住んだ新潟は、TVの天気予報では特に吹雪マークが多いような気がする。
  偏西風がたまたま蛇行経路が変わっているだけかもしれないが、昨年の酷暑の夏や集中豪雨等気象現象が激しくなったという感じはある。
  今夜の月は十六夜。あと半月程で節分(今年は旧正月でもある)、そして立春。春に向かっていると思えるのは乾燥した晴天の日が続く関東南部の住人だけか。

(なお、昨年の欄に書きかけの「雑想」は補足を終えた。)



2011年1月01日 (木)

 新年明けましておめでとうございます   平成23年 辛卯元旦


年賀状11
新しい年が良い年になりますようお祈り申し上げます。
獅子舞 本年もご厚誼のほどどうぞよろしくお願いいたします。
各地の大雪が報じられていますが、東京の今朝は晴、元日はやはりこの歌になりますね。



   何となく、 
   今年はよい事あるごとし。
   元日の朝、晴れて風無し。   啄 木







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