如雨と而酔のページ>日々雑想2009
     

載せた日付の新しい順に並べでいます。
写真の上でクリックすれば大きめの写真になります。
ポイントすれば画像が変わる写真もあります。

2003年 2004年 2005年 2006年 2007年 2008年 2009年
2010年 2011年 2012年 2013年 2014年 2015年 2016年
2017年 2018年 2019年                   「如雨と而酔のページ」のトップ

▽この年の最初の稿


2009年12月31日 (木)

 MOA美術館のもみじ


  今年最後の日になった。とはいえ、年々年を越す感慨は淡くなる。感受性が弱くなったと言えばそうだが、同じ(ような)ことを何十回繰り返していると当然なことかもしれない。
MOA美術館茶室庭園のもみじ
MOA美術館のもみじ
  それでも新しい年に希望や願望、期待(これらを「夢」と表すのは嫌いだ)を持ちたいが、これにもエネルギーが要りそうだ。
  最後に備忘のための記録の残り。
  11月も終わり近く、姪の結婚披露の後兄弟妹夫婦でしばらくぶり熱海に泊まった。今年は甥姪の結婚が3回もあるおめでたい年だった。其れは措いてMOA美術館を10数年ぶりに観覧したが、茶室がある庭のもみじがきれいだったので、1枚。
  月並みながら、良い年をお迎えください。

2009年12月30日 (水)

 紅葉の京都


勧 修 寺
随心院・小町歌碑
嵐山、渡月橋
天龍寺庭園
  いよいよこの年も今日明日のみ、押し詰まってきた。メモを残しておきたいことがいくつかある。11月下旬の京都行のこと。
  恒例となった紅葉の時期の京都への旅行。紅葉の有名な所は隣府県の一部を含めほぼ観ているので京都駅に着いてようやく初日の行き先が決まるという呑気なもの。
二 尊 院
北野天満宮御土居
千本釈迦堂おかめ像
  それでもまず、紅葉はどうあれ初めての所、山科から小野の勧修寺(かじゅうじ)、随心院に行く。勧修寺は醍醐天皇が生母を祀った門跡寺院で蓮池を中心とする庭園を巡る。随心院も門跡。小野の小町の住いとして知られ、静かな佇まいの寺院である。
  翌朝は秋晴れ、幾度も訪れているが確かまだのはずの、日の当たる紅葉の嵐山をまず見る。久しぶりの天龍寺庭園、これも何年かぶりの二尊院に参り、祇王寺にまわる。その後満員のトロッコ列車で紅葉の保津川沿いに亀岡まで往復する。
  3日目は遠出をせず、洛中の北野天満宮に参拝、境内西側の秀吉が築いた史跡「御土居」を散策。思いがけず美しい紅葉に出会えた。近くにある平野神社(櫻の名所)を参拝、さらに10分ほどの大根炊きで有名な千本釈迦堂(大蓮華寺)に回り、これも初めての庭園や宝物館を観る。応仁の乱の戦火を免れた京都最古の建造物という。
  オッともう時間がない。道路が混みバスのノロノロぶりに気を揉みながら、発車数分前にホームに着き、予定通り帰宅。予報を覆し3日間好天に恵まれた。累計46,000歩。

2009年12月25日 (金)

 六義園、古河庭園


  Xmasになるとこの年は残り1週間、やり残していることが山ほどあるが、何も年内にやらねばならぬことはなかろうと、今から手抜きを考えている。でも「雑想」は11月のつづきを少し。
六義園の雪吊り
六義園の雪吊り
  20日(11月です)、初めて六義園、古河庭園に行った。月末から紅葉のライトアップを行うという話をラジオで聞き、まだ早いかとは思ったが、思い立ったが吉日とばかり行ってみた。
  いずれも東京都が管理する公園。もともと安い入園料が年寄りは半額。
紅葉は櫨が穏やかな朱色になっていたが、楓は観るべきものはなし。東京での最初の紅葉狩りはいわば空振りだったが、のどかな秋色の両庭園を楽しんだ。
  六義園では雪吊りの最中、木の上から吊り縄を放り枝を括る作業を池越しに眺めていた。東京ではほとんど本来の役割を担わされることはない冬のお飾りだが、季節を感じさせる風物詩だ。
  両園内を隈なくゆっくり散策、帰宅して万歩計を確かめたら1万7000歩を超えていた
  京都のことはいずれ別稿で。

2009年12月01日 (火)

 蔵王でゴルフ、雪の岩手山は空振り


  11月は出掛けることの多い月だった。中旬は蔵王でのゴルフ、下旬は京都に紅葉観、姪の結婚披露と熱海への兄弟旅行。この間六義園や古河庭園を訪れる。
  蔵王は、7月に霧で中止になった小中学校来の友人とのゴルフ。天気予報は良くなく前日夕刻まで大雨、今回は雨で中止かと危惧したが、当日は抜けるような秋晴れ。風は冷たいがプレーに差障りがあるほどではなく、2カ月ぶりのプレーは楽しくやれた。
盛岡城址の名残りの紅葉
盛岡城址の名残りの紅葉
  夜は麓の温泉泊。深更まで話し込むのは、いつもと同じ。昔と比べればアルコールの量が大分減りはしたが、それでも皆普段よりはかなり進む。
  翌日は曇天、終りかけた山紅葉を見ながらやや眠たい体で仙台に戻り、今年2度目の父母の墓参り。
  ゴルフの前日仙台に入る前に盛岡に直行、駅に降り立った時丁度雨があがったが、風は強く寒い(この日の最高気温10℃)。山襞が雪で明らかになる岩手山を期待して行ったのだが叶わず、不来方城址に残り紅葉を見ながら市内を2時間ほど徘徊するにとどまった。初冬の岩手山が見たいな。
  京都のことは別稿で。

2009年11月22日 (日)

 武 相 荘(ぶあいそう)


  11月初旬の日曜日、好天に誘われ思い立って町田市鶴川にある白洲次郎・正子夫妻の旧邸宅「武相荘」に行った。戦中昭和18年に移り住み夫妻の終の棲家となった家である。
  正子没後「旧白洲邸・武相荘」という記念館・資料館となり2001年10月から一般公開されている。武蔵国と相模国の境に位置することから名づけられたものというが、「無愛想」を掛け、うまい。
  白洲次郎については、憲法公布(1946年)・施行(47年)60年を契機にして「占領下、ただ一人の従順ならざる日本人」として、ここ数年多くの本が出版され話題となった。さらに今年は一代記がNHKで大型ドラマで放映されて、ここへの日帰りのバスツアーも催行されるようになったようだ。
  人から訊ねられることも多くなり、以前から一度観ておかなければならないと思っていたが、何時でも行けそうな気がして結局この日になった。
  特段の物が展示されているわけではないし、広い敷地や庭園があるというのではないが、近い過去の、大きな仕事を成し遂げた次郎と正子の、茅葺屋根の家での日常の生活が偲ばれる。
  大分前に見たことのあるNHKスペシャルのビデオが放映されており、復習。入場料1000円、うーん。

2009年11月05日 (木)

 三遊亭圓楽師逝去


  10月29日三遊亭圓楽師が亡くなった。05年に脳梗塞で倒れ07年再起を期して演じた「芝浜」の出来に満足できず引退して2年半、肺がんだったことは不明にして知らなかったので、逝去の報に驚いた。月並な言い方ながら、惜しい人を亡くした。
  圓生師とともに落語協会を脱退後、自前の寄席「若竹」を作った。仕事に忙しい頃ではあったが、地下鉄東西線東陽町(前に「門前仲町」としたのは勘違いでした)から行くこの寄席に幾度となく通ったものだ。もう25年も前のことになる。
  まばらな客の中での園楽一門の落語家たちの熱演、精進に敬意さえもっていた。
  好楽師と行きつけの居酒屋で隣同士になったとき、この「若竹」で聞いた一門の噺家を話題にできた。その後下北沢のビルの一隅で開いていた自前の寄席にもよく出掛ける等、園楽一門の噺にはずっと関心を持っていた。
  圓楽師最後の弟子の王楽の真打昇進を見届け、楽太郎の6代目圓楽襲名(来年3月)、鳳楽の圓生襲名(時期未定)を決め後に憂いを残さず、76歳の若さ!で逝った。昨日通夜の由。合掌。
  総帥亡き後も一門の繁栄が続くよう祈る。

2009年10月31日 (土)

 秋保・瑞宝殿・モール温泉


  ようやく今月の出来事に月内に追いついた。
  10月上旬、秋晴れの仙台郊外・秋保温泉で中学校のクラス会があった。
仙台・秋保温泉磊々峡上流
仙台・秋保温泉磊々峡上流
  ここ10数年は2年毎に開かれ、良くぞ続いている。今回の会場はその学校の地元ではないため出席者は何時もの半数の8名にとどまったが、健康を損ねたり、物故した旧友もあり、参加者が減る傾向にあるのはさびしい。
しかし小人数なだけにお互いによく話ができ賑やかな会になった。この夜は満月、薄いうろこ雲の間の月が皓々として美しかった。普段よりかなり遅い就寝だと云いながら日が変わる前に健やかな寝息になっていた。
  翌日はこれも好天の仙台市街に戻る。折角仙台に来たのだからと、伊達正宗の廟=瑞宝殿を訪れる。うっそうとした老杉の中にある。昭和20年7月の空襲で焼失したものを仝54年に創建当時の華麗な廟に再建されたもの。他に2代忠宗・3代綱宗の霊屋などがある。何かゆったりとした気分になる。
仙台・瑞宝殿
仙台・伊達正宗廟瑞宝殿
  その後秋田に出て、翌日、大潟村の温泉に泊まる。八郎潟の干拓によって出来たところに温泉? と訝るかもしれないが、珍しい「モール温泉」。500万年前の海水が植物起源の有機質を溶かし込み地層水となった温泉である。モールとはドイツ語の湿原という。
葡萄色というかコーラ色というか、舐めてみると少し塩っぱい初めて入る温泉であった。遠くに白神山地を眺めながらたった一人の湯舟を楽しむ。
  翌日は、略30年ぶりに羽越線に乗る。日本海を飽かず眺めながら新潟に。
「越後初夏の花めぐり」の時にも立ち寄った小料理屋で、会社OB会の会長を務めた大先輩と地酒〆張鶴で懐旧談。時間の経つのを忘れがち、が、台風近しニュースにしぶしぶ席を立つ。時折強風に乗って大粒の雨が来る。
  翌朝は早目覚め、TVで台風がこちらに向かってくることを確認、台風に追い出されるように予定を繰り上げて新潟を去る。清水トンネルを出たらすっきりと晴れていたが、新幹線は強風で途中停車の連続、2時間も余計に乗せてもらった。
  東北半分ひと回りの旅は慌ただしく終えた。

2009年10月27日 (火)

 利き酒研修、三遊亭王楽真打披露


  ひと月前のことを2件。
9月下旬、創業350年の灘の大手酒造会社認定日本酒指導師範の利き酒研修会があった。小生の参加は11回目。30数人の参加者がまず利き当てに挑戦。昨年は一敗地に塗れた(尤も酒飲み自慢の参加者の誰も当たらなかった)ので、味覚・嗅覚が衰えもう年齢で駄目かなとは思いつつも何とか頑張り、当たり5人の中に入れた。
  今回はサンプル酒と同じ酒を5種類の中から選ぶもので、前年はこれより種類が多かったように思う。これでまた酒を選び美味しく飲むことができる。
  他の20数種の生酒母(キモト)づくりの酒の利き酒・講義などの後、それらを今度はちゃんと飲みながらの賑やかな懇親会。それで終わればいいものを。恒例になった二次会をその酒蔵のキャンペーンのために期間限定で設けた有楽町「街蔵」で飲り、更に成り行きでもう一軒。帰宅。翌日は当然お酒は休み。

  その2日後、三遊亭王楽真打昇進披露宴が赤坂のホテルであった。「笑点」のメンバー好楽師のひとり息子で、二ツ目昇進披露落語会の時に初めて聴いたのだが、若いがしっかりした噺ができる有望株である。
  落語家、漫才師、マジシャン、タレントら1000人ぐらいの客の中で知っている人は好楽師のみ、親子がテ-ブルに回ってきて、遠くからの出席ありがとう、と言ってくれた。
歌丸・馬風・圓歌・鶴瓶・圓楽になる楽太郎などの挨拶や余興などで会場は和み、久しぶりに浮いた気分になった。
  この日カメラも携帯電話も忘れて、証拠写真がないのが残念。

2009年10月13日 (火)

 古い仲間の集い、小岩井


  金木犀の香りが窓から入ってくる。うちにも隣にも向いにも金木犀がある。 台風が去ったあと、45年前の東京オリンピックの時と同じように秋日和が続く。
  生検の結果恐い病気の疑いから一応解放されてから、心置きなく出掛けたり、出掛ける計画を立てている。
小岩井農場から岩手山
小岩井農場まきば園から岩手山
  結果が出てすぐの9月初め、学生時代の古い仲間のOBOG会があり仙台に行った。会場は、学生の頃何度か登った泉ヶ岳(標高1175m)の裾野の温泉である。ふるさと創生資金での温泉ボーリングが盛んなころに見つかったものという。
  27人も大集合、見込みをかなり超え、幹事は喜びの顔で迎える。50年ぶりに会う人もいる。懐旧談に大いに盛り上がり、趣のある露天風呂を楽しみ、すっきりと秋晴れの朝を迎えた。
小岩井農場から岩手山
盛岡・北上川夕顔瀬橋から岩手山
  もう一日余裕があったので、雲の無い岩手山を見に、4か月前にも行った盛岡に赴く。
  市内均一循環バスでんでんむし号を活用、市内の啄木所縁の所を飽きもせず訪れる。夜は同級生がやっているスナックで地元のおじいさん方と飲み、しばらくぶりに歌う。
  翌日は秋の好天の小岩井農場。ほぼ雲の無い岩手山にようやく逢うことができ、満足満足。
盛岡に戻り北上川からの岩手山を撮る。満席に近い新幹線で、夕刻帰宅。その岩手山が10日、初冠雪を観測したという。うっすら雪の岩手山がみたいなぁ。
  もうひとつ仙台等があるが、追って。

2009年9月25日 (金)

 観蓮会・荷葉酒


  8月の第1日曜日には毎年、町田の薬師池公園で大賀ハス観蓮会が開かれる。
  朝5時過ぎ、まだ門燈が消されていない街並みを歩き1時間ほどで到着。
朝6時、大賀蓮の葉に日本酒注ぎを茎を通して飲む「荷葉酒(かようしゅ)」、運転者やお酒を飲めない人には「荷葉茶」の接待が始まる。昨年に続き2度目、長い列にも驚かない。参加者は荷葉酒529人、荷葉茶406人の由。
薬師池の大賀蓮=0808
薬師池の大賀蓮。ただし去年の花です。
  「観蓮会」を開くこの時期は蓮の花が妍を競っているはずだが、蓮の写真募集のポスターが空々しかったくらい、今年は花は数が極端に少ない。
  カメラを忘れたことに気づいたが、15分以上も歩いたところで取りに戻るのはかなり大変なのでそのまま行行ったが、残念と思わずに済んだ。携帯電話で何枚か撮っただけ。
  地酒の四合壜を買い大賀蓮の種子をもらい、蓮田の周りをそぞろ歩くにとどめる。バス停で待っているとパラパラ小雨、急にお腹がすいた。
  昨年もらった大賀蓮の種子は葉が3~4cmになったところで成長が止まり冬を越せなかった。今度は来春になってから芽を出させて育ててみたい。

2009年9月13日 (水)

 蔵王は霧、ゴルフ中止、久しぶりの映画


  もうひとつ7月のことをメモしておかないと、次に進めない。
7月末に小中学校来の友人と年に2回やっているゴルフ・懇親のため、仙台、蔵王に行った。
濃霧の蔵王
濃霧-こんな写真面白くありませんね>
  友人の家で迎えた朝は曇で雨の心配がなさそうな空で、車中互いに軽口をたたきながらゴルフ場に着く。早速練習場に。
  2か月ぶりのゴルフにしてはそこそこの快音で何とかいけるかと思っているうちに、濃い霧が斜面に沿って押し寄せてきて、間もなく30~40m先が見えなくなる。球筋は見えず打球音だけの自慢が続く。パットの練習をしながら30分後の定刻まで霽れるのを待つが、好転の兆しはない。止むなく中止。
  ホテルのチェックイン時刻までどうするか、麓の町のシネコンで映画を見ることにする。映画館にはみんな10数年入ったことがないという。上映時間から「ルーキーズ」選ぶ。ボクサーの「ロッキー」とばかり思っていたら、不良少年の高校野球の話だった。キャストが先生以外は老け過ぎていて何とも嘘っぽい。でも、青春の残り香に触れたような気もした。
  ゴルフ代わりの映画では何とも満たされない気分、これを取り返さんと、温泉に浸かってからの「深交」は深更に及んだ。
  で、翌日皆出発してガランとした食堂での朝食。疲れの残った体で昼過ぎの列車に乗る。
着いた日に雨を心配しながらも父母の墓参りをしたのがせめてもの救いだった。墓参の日は新暦盆と月遅れ盆の丁度真ん中だった。

2009年9月04日 (水)

 越前-朝倉遺跡・永平寺・東尋坊


  越後のあとは越前、遠出の話を続けようと思っていたのだが、うっかりしていた。9月に入りもう4日も経ってしまった。いつものように備忘のために―。
  7月19~20日、昔の職場の仲間が福井に勤務したのを機に4人の仲間で福井に行ってきた。梅雨明け前のあまり良くない天気予報を恨みながら出発。
朝倉家遺跡
朝倉家遺跡-義景館の唐門
  まず武生での昼食の越前そば。蕎麦に大根おろしをのせて出し汁を掛ける素朴な食べ方。蕎麦はゴツいとでもいう食感だが、美味い。
  最盛期は1万人を超える城下町だった一乗谷朝倉氏遺跡。武家屋敷、町屋敷なども復元され今も続けられている。義景館跡、いくつもの庭園跡を見る。唐門ではボランティアの案内人が説明してくれる。
  丁度3年ぶりの永平寺、今度はゆっくり拝観できた。宿泊した東尋坊も3年ぶり。ほんの申し訳程度に現れた日本海の夕焼に喜ぶ。福井に勤務となってから'研究'して用意してくれた地酒が旨い。
観光船から見た東尋坊
観光船から見た東尋坊
  翌朝は今にも雨が来そうな空模様。風が強く、観光船の乗り場が2㎞ほど離れた三国港に変わる。乗客は我々5人だけ。もう少し風が強ければ船は出さないという。船からの東尋坊は初めて。結構揺れるが、心配も船酔いもない。
  戻って東尋坊の見学、やはり崖の下を覗くのは怖い(もともと高所恐怖症)。
  山中温泉で温泉に入ろうかとクルマを進めてもらう。ここで初めて俄雨に遭うも間もなく上がり、温泉はやめて鶴仙峡をこうろぎ橋からあやとり橋まで歩く。雨に濡れた濃い緑とせせらぎの白が美しい。
  加賀温泉駅に着いたころ雨が落ち始め、駅のホームに下りた途端激しい雨がきた。車窓に打ちつける大粒の雨の中、初めて乗るほくほく線を経由して帰京。
  日没間近の東京駅で電車を待っていたらビルの間に大きな虹が立った。

2009年8月12日 (水)

 越後初夏の花めぐり― にがっかり


  かなり後追いの記録が、普通になってしまった。ひと月ぶりである。
家内の要望を受けて7月半ば新潟に行く。新潟は4年半余の勤務地、小生は略毎年訪れているが家内はもう10数年行っていないという。
  夫婦限定のデラックスバスツアーのキャッチコピー「ご夕食は特上にぎり寿司に舌鼓」「越後初夏の花めぐりと納涼紀行」に、まあいいかと参加した。完全に期待は裏切られた。
越後丘陵公園の北海道的風景
唯一見られた越後丘陵公園の北海道的風景
  梅雨まだ明けぬ(今年は新潟は明けたのかな)時期で天候の悪さは覚悟していたが、訪問先が、国営越後丘陵公園以外は、どうしようもない。十日町の紫陽花=手入れができておらず地元の人間が行く所がなく来るような所、津南の向日葵畑=咲いているのはほんの数えるほど、スケールも人を呼ぼうとする田舎の畑にしては小さい。
  極めつけは「ご夕食」。バスに乗って沼垂の鮨屋に連れて行かれたが、特上の寿司は、回転ずしのような軍艦2個を含め皿に8貫。それだけ。10分もかからず食べ席を立ち、直ちに古町のいつも寄る小料理屋に。ようやく人心地がつき、ついでにもう一軒に立寄って、帰館。
  翌朝のバス内、みな当然不満。バスとホテルだけがいい旅行となった。
  今は駐車場になっている、勤務中住んでいた社宅跡に行ってみたのが、家内にとって収穫だったか。

2009年7月11日 (土)

 また、東北(続々)-常光寺


啄木生誕の地の碑 金田一京助書の掛軸
啄木生誕の地の碑'09.05金田一京助書の掛軸
  (承前)常光寺行は丁度2カ月前のこととなった。
一杯が○杯になり啄木の話に花が咲くうち、同級生が翌日常光寺を案内してくれるという。何度か辞退しながらも、まことにありがたい申し出を遠慮しつつも受ける。
  啄木生誕の曹洞宗のお寺常光寺は、同じ玉山地区とはいえ、啄木が生まれた頃は渋民の隣の日戸村、クルマがなければ行けない所。渋民には何度も行っているが、いつもそのうちにと思い気持を残しながら去っており、大いに感激した。
大杉の間から常光寺本堂
大杉の間から常光寺本堂'09.05
  次の住職になる筈の若い僧に中を案内してもらう。啄木は生後わずか1年で渋民の宝徳寺に移るが父母・姉達も住んでいたことにも思いを遣り、じっくり拝見させてもらった。
常光寺寺碑
常光寺寺碑
門前の幾本かの大杉は来歴のある寺の風格が十分だった。
  やわらかい緑の中を盛岡に戻る車中で、2年前函館の啄木の墓に参ったときと同じく長年の責めを果たしたという感慨があった。
  前日の○杯の疲れも出て、「はやて」に乗車間もなく微睡んでいだ。



2009年6月27日 (土)

 また、東北(続)-浄土ヶ浜


浄土ヶ浜遊覧船から
浄土ヶ浜遊覧船からⅠ'09.05
  (承前)翌朝は雨の中、天気好転に一縷の望みをもって、初めての浄土ヶ浜へ。
  三陸海岸はいくつかのスポットは観ているが浄土ヶ浜は初めて。本当は宮古まで山田線の車窓を楽しみながら行きたかったのだが、何せ列車が極めて少ない。1時間に1本走っているバスにせざるを得ない。
浄土ヶ浜遊覧船から
浄土ヶ浜遊覧船からⅡ'09.05
  それでも途次若い緑の中に山吹の黄が映え、八重桜が残っているのは風情。ただ途中で近くに見えるはずの早池峰山は厚い雲に隠れ、浄土ヶ浜も遊覧船も、結局雨の中だった。
  連休直後の平日とて観光客は少なく、ガラガラの船は波に大きく揺れた。松の緑と協奏するはずの奇岩絶壁も無彩色に近かった。再訪の機会があるかなと思いながら、同じルートで帰路につく。バスを目的地のかなり前で降りて小雨の盛岡を歩き、ホテルに戻る。シャワーを浴びて髪まで洗って、とっぷり暮れた街に出る。一杯が○杯に―。

2009年6月25日 (木)

 また、東北-渋民


改築の渋民小学校'09.05
改築された渋民小学校'09.05
  気がつけば前回の稿からふた月以上も過ぎている。他のページの更新もかなり手抜きしている。いつものことながら、まず反省。
啄木の筆跡になる渋民小学校の校札'09.05   5月大型連休明け、仙台での姪の結婚式に出て北へ足を延ばした。昼前盛岡着。荷物をロッカーに押し込み、バスで'06年10月以来の渋民へ。姫神ホールの裏庭から雲の中に淡く見える岩手山を眺めてから、渋民小学校を通ると見慣れぬ風景。
  '07年12月に新しい校舎が完成、校門や校舎の向きもすっかり変わっていた。無垢の材木を多用した校舎は土地の雰囲気に融け込むぬくもりがあった。 歌碑<その昔 小学校の柾屋根に 我が投げし鞠いかになりけむ>と校歌碑(啄木作詞)も勿論校門近くに移設されていた。
正面玄関前に移された歌碑'09.05
正面玄関前に移された歌碑'09.05
  渋民公園の一号碑、鶴飼橋を渡ってすぐ下流の同じ名の橋を戻り、宝徳寺、斎藤家前の歌碑、渋民小学校の校歌にもある生命の森=愛宕の森など、みな以前に観ている所だが、何か懐かしさを覚える。生まれたばかりの樹木の緑は淡くやさしかった。
生命の森から渋民の町を望む'09.05
生命の森=愛宕の森から渋民の町を望む'09.05
いつも寄る啄木記念館は、時間がが足りず今回は前庭を通り過ぎただけ。

  暮れはじめたころ盛岡に戻る。翌朝は雨の中、天候回復に一縷の望みをもち、初めての浄土ヶ浜へ。

  続ければ長くなるので、この辺で一旦擱筆。

2009年4月16日 (木)

 東北の桜


三春の滝桜'09.04
福島三春の滝桜'09.04
  今年の桜の見納めに週末、南東北に出掛けた。
  東北は4月に入ってから暖かい日が続き、ほぼ予想どおり平年より5~7日早い開花となった。天候に恵まれた3日間だった。
  山形県は観桜には数日早かったが(酒田日和山公園:咲きはじめ、鶴岡公園:2~3分咲き、米沢上杉神社:咲きはじめ 等)、
福島市の花見山公園'09.04
福島市の花見山公園'09.04
  宮城・白石川一目千本桜、福島・三春の滝桜、福島市の花見山公園等は、まったく文句のつけようがない見ごろ、素晴らしい日本の花に会えた。
  日本三大桜の一つの滝桜で偶然来ていた職場の同期生に声をかけられた。彼は3回目の滝桜だがこの日ようやく立派な花を観られたという。
  小生はこれらすべて初観の桜、大変満足できた今年見納めの桜であった。
  いま東京は染井吉野は葉桜、替わって町には八重桜、アメリカ花水木、垣には木香薔薇、 満天星(ドウダンツツジ)、つつじ類、早くも藤の花、次々に役を入れ替り爛漫の春を彩っている。

2009年3月17日 (火)

 今年の春


  今年の「春をさがして」は、もうひと月前のことになり今や時期を失してしまったが、メモだけはしておこう。
  1月末に新宿御苑をひと回りして、穏やかな日ざしの中に咲きかけた梅、寒緋桜、咲きそろった日本水仙を観ながら、今年は春が早いなと思ったものだ。
薬師池の梅'09.02
薬師池の梅=永井家旧宅'09.02
  2月半ば町田郊外の薬師池公園に梅を、その翌々日神奈川松田町の西平畑公園の河津桜を観に出かけた。いずれも暖かい春の日、まさに見頃で、本格的春を感じた。
松田西平畑公園の河津桜'09.02
松田西平畑公園の河津桜'09.02
  松田は平日にもかかわらずかなりの人出で、8分咲きの河津桜は昨年から植えられた菜の花の黄の支援を得てこれまでより誇らしげに咲いていた。
  これで安心したからか、その後の天気が良くなかったからか、春の遅かった昨年は「春をさがして」いろいろな所を訪うたが、今年はこれだけで終わった。
  今日彼岸の入り、今年も桜の開花が早いという。週日もすれば此処彼処桜の話題となる。

2009年2月20日 (金)

 テレビ買い替え


  昨年夏ごろから衛星放送が映らなくなり、普通の(最近「アナログ」と表示される)のチャンネルは秋口からはまれに画面が暗くなることがあった。アンテナが傷んでいるのかと思っていたが、11月ごろからは暗くなるのが「まれに」が「時々」になり、年末には「しばしば」になっていた。
  少し休ませれば普通に映るのだが、その時間がだんだん短くなってくる。買い替えは不可避かと思いつつも先延ばしにしてきた。不思議なことに年末年始はほぼ完全復活、紅白も箱根駅伝もしっかり映った。
  この「最後のご奉公」が終り、また「しばしばに」なり、2月に入りブラウン管は暗いまま、家人はTV音声の入るラジオを持ち出し1週間ほど我慢していた。健気にも購入の催促はなく、逆に放っておくわけにもいかないかと、家人に相談もしないで注文。明日TVが届くよと言うと、驚いたような呆れたような顔をした。
  あまりTVを観るほうではないので(ラジオは在宅時は点けっぱなし)さほどの障りないのだが、新調のTVの取扱いを勉強しながら、結構チャンネルがあるものだと感心している。
  ビデオ・DVD等(こちらも小生は2年ほど手を触れていない)の接続はこれからである。何と遅れているやつだと思われてもやむを得ないが、必要がなければそうなる。
  なお古いTVは98年7月購入、地デジ全面移行(2011年7月24日)までもたせる願いは叶わなかった。


2009年1月01日 (木)

 新年明けましておめでとうございます         己丑元旦


  新しい年が良い年になりますようにお祈り申し上げます。
松飾り
  毎年のことですが、元日はやはりこの歌ですね。


     何となく、 
     今年はよい事あるごとし。 
     元日の朝、晴れて風なし。   啄 木


△このページのTOP





2003年 2004年 2005年 2006年 2007年 2008年 2009年
2010年 2011年 2012年 2013年 2014年 2015年 2016年
2017年 2018年 2019年                   「如雨と而酔のページ」のトップ

 啄 木 雑 想  お さ け  写 真 帖  お 台 場  サ ブ ノ ー ト  ひとり句会

2009年