啄木幻想−はじめの恋
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【啄 木 幻 想】 



【啄 木 年 表】

  は じ め の 恋 

梅雨に入ったのか重たい雲が町を覆う。
肇は本郷の下宿屋で東京での生活を築きあぐねていた。明治41年6月、北海道1年の漂泊から移り来てひと月、文学で立つという志と違い生活の目処が立たず、行き詰まっていた。
今日は未明まで小説を書き進めていたため、昼が近いのにまだすっきりと目覚めてない。
文机に向かっては寝転び、また起き上がる。
そんな折、貞子が不意に訪れて来た。信じられない来訪であった。あれから三年、懐かしさに心が躍った。
会ってどうしようか、今日は玄関先で挨拶言葉を交わすにとどめようか、とさえ思うほど狼狽した。
しかしそれでは二人とも惨め過ぎないか。上京後すべて思惑がはずれ穴のあきつつあった心が、女の優しさを求めたのかもしれない。
貞子は部屋に入るなりなぜかいきなり泣き出した。驚きながら肩を抱いてやる。
そっと口づけてみる。懐かしい香りが吸い込まれる。肺腑にまで快さが届く。
そして、大きな木々の頂きで閑古鳥が鳴く故郷の静かな寺の初夏を思った。

函館の砂山にいて、みちのく山里の禅寺宝徳寺にあるサダの墓を思ったことが幾度となくあった。
函館の海辺でどうしてあんなにも鮮やかによみがえったのだろう。
サダ、あの赤い被布を着けたサダのことだ。
まだ僕が8歳、尋常小学校3年生のときのことだ。サダは流行のジフテリアであっという間にこの世を去った。
サダは2歳年上の村の大工の娘。可愛いというほどではなかったが、何か気になる女の子らしさに憧れていた。
サダの墓を毎日のように見に行った。いや、会いに行った。
饅頭型に土を盛った小さな墓の前に佇んでいた。
墓に手をおき、撫でてみた。ひんやりとした土の感触が、縮めることのできないサダとの距離を教えてくれた。
いつか雪の朝、雪を寺の回廊いっぱい積み上げ、父に散々叱られことがあった。
あれは、サダの墓が雪に埋もれて見えないことを恨んでの荒み心からであったか。
砂山の砂に腹這ひ‥‥。浜、砂。
砂だ。サダの墓を撫でながら、いとおしさに土をひと掬いした。それを右手に握り締め部屋に戻り半紙に包み机の抽斗の奥に仕舞った。
だが、そのとき墓参りに来ていた檀家の初老の男に手に土を握っているのを見咎められた。墓を荒らしていると思われたか、激しい叱責に遭い驚いて走った。一掴みの土を掬っただけだ。墓を掘ったわけではない。断じて掘ってなんかいない。
この事件は日課となっていたひそやかな楽しみを奪った。もうあの墓には近づけない。
が、かえってそれがサダへの消し去りがたい想いを定着させたのだ。節子も初恋だが、順番からいえばこれがはじめの恋だ。

貞子は涙の中にも再会の喜びを感じているのか、肇の腕の中で目を閉じている。
肇は、髪を撫でいとおしい貞子抱いてはいても、心の向きは定まらない。

海はいい。その先に行きたい。思い焦がれた海の先の国もあった。何度アメリカや西洋に行くことを願ったものことか。
函館の大森浜の砂にしばしば佇み、戯れたのはなぜか。海の先への憧憬ではない。指の間からさらさらと砂が落ちる様子に昔の出来事を重ねていたからだ。
昔のことって? 本当のことをいえばやはりサダなのだが、今も咽るように恋しい節子もこの砂の情景に加えてみようか。

いま、目の前には貞子がいる。
歌があふれ出してきた。歌だ、遠い日の想い出が歌になって次々出てくる。サダが歌になって戻ってくる。
頭がすっかり歌になっている。
書き留めたいがこの手はふさがっている。

学校の休みの都度、盛岡から渋民の家報徳寺に勇んで帰った。父母や妹光子に会う喜びはもちろんだが、わが家の中に永久に住むサダに会えることも密やかな喜びだった。
幼いあこがれは尋常小学校に入って間もない時にも始ったのだろうか。
今はもう顔は少しぼやけてきてはいるが、あの赤被布と不釣合いの濃い紺色の下駄の緒が不思議に今も鮮やかだ。やはり初恋と名づけるのだろうか。
紙に包んで机の引出しに仕舞いこんだ土の一塊をサダの分身と思い続けていた。盛岡の高等小学校に上がるときの小さな荷物の中に潜ませたことは覚えているが、故郷を追われるように出たとき、函館にまで持っていったかどうか、思い出せない。
―― 僕は墓を撫でていただけだ。断じて掘ってはいない。

貞子がささやく、「うれしいの、困ったの」。肇、「うん」。
「どうしたの」、「う、うん」。
砂が波にさらわれるような気がした。
「サダ」「ん?」、「貞」「なに?」。
「てい、今日はどうも疲れている---」、「----- また明日伺いますわ、相談したいことがあるんですけど」。

−了−




【ご 参 考】

<大形の被布ひふの模様の赤き花 今も目に見ゆ 六歳むつの日の恋>

<砂山の砂に腹這ひ 初恋の いたみを遠く思ひいづる日>

<命なき砂の悲しさよ 握れば 指のあひだより落つ>

(「一握の砂」より)



沼田サダ(サタ)、大工沼田末吉の娘。上記<大形の被布ひふの模様の赤き花 今も目に見ゆ 六歳むつの日の恋>の相手。妹はヤエ。
明治26.10、ジフテリアで死去、11歳。
長詩「凌 霄 花」(=のうぜんかづら。詩集「あこがれ」所載)に詠まれる。
短編小説「二 筋 の 血」の佐藤藤野のモデルとされる。特に優れた、面白い小説ではないがご参考までに掲げた。
父末吉は、明治23年宝徳寺本堂改修の功により、啄木の父で住職の一禎から永代供養料免除の証書を受ける。

啄木(明治19.2生)は明治24年尋常小学校入学、6歳。サダ死去のとき8歳、3年生。
28年盛岡高等小学校入学、31年盛岡中学校入学
40年5月函館へ、41年5月東京へ。
(年齢は数え年)

植木貞子(ていこ)= セン、明治23(1890)年生まれ。
京橋の踊りの師匠の娘。父親の伊東の事業破綻、浅草末広屋の芸者に。
新詩社の演劇会で知り合い、啄木が北海道から上京した明治41(1908)年付合い復活、懇ろな間柄となる。
日記の表記が「てい子」から「貞子」に変わる。'さだこ'と読めるからか。
その後啄木がの態度が冷たくなり、これを恨み部屋から日記や小説の原稿と歌稿ノートとを持ち去り(程なく返却)、日記の一部が切り取られる'事件’が起こる。
文中出来事の時系列は前後しているところがあります。

参考文献 : 大沢 博「悲哀と鎮魂」(桜楓社刊)、各種の「啄木日記」、他。

 以  上


('04/09)


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第10回:誕生・渋民 第11回:  酒   第12回:終  焉
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