如雨と而酔のページ啄木雑想>第11回 酒 啄木雑想11


啄木雑想タイトル



“ふるさとの山”岩手山
南 部 富 士・岩 手 山

※「啄木」の「啄」の字はカバーされていないため、本サイトでは「啄木」と表記します。ご了承ください。

【啄 木 年 表】


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第 11 回 :    酒    

 筆者の立場(なんとなく「利酒師」)としては啄木の酒について触れておかねばなるまい。

お  酒
 函館苜蓿社ぼくしゅくしゃ同人を中心とする交わりは、身のおきどころがなかった渋民と比べ、自分が評価され、それなりに遇されていて楽しかったに違いない。青柳町の啄木のもとには多くの仲間が集まった。そこには潤滑油であるお酒があった。

<こころざし得ぬ人人の あつまりて酒のむ場所が 我が家なりしかな>  (初出スバル明43.11)

 函館では札幌に向おうとする直前に仲間と飲む。大火 に遭った痛みをまだ引き摺っている時期の送別会である。(※ 明40.8.25夜)
 「予は二三日中に愈愈札幌に向はむとす。此夜大に飲めり。麦酒十本。酒なるかな。酔ふ(「う」が正しい)ては世に何の遺憾かあらむ。我ら皆大に酔ひて大に語り、大に笑ひ、大に歌へり。」(明40.9.10)とビールを痛飲したという日記がある。啄木の酒は基本的には特別の日の酒であって、日常の生活には酒はない。

 啄木はお酒は余り強いほうではなかった。というより弱いほうといっていい。
 しかし、札幌、小樽を経て、明治41(1908)年厳寒の釧路に移る。ここでの3カ月足らずの間に本格的に酒を覚えたばかりでなく、花柳界の歓楽にのめりこんだ。このとき啄木21から22歳。
 「生まれて初めて、酒に親しむ事だけは覚えた。盃二つで赤くなった自分が、僅か四十日の間に一人前飲める程になった。」「芸者といふ者に近づいて見たのも生れて以来此釧路が初めてだ。之を思ふと、何といふ事はなく心に淋しい影がさす。」(明41.2.29日記)

<あはれかの国のはてにて 酒のみき かなしみのをりすするごとくに>   (一握の砂初出)

 この歌は、北海道の項で取り上げたが、「酒」にも再掲するのをお許しいただきたい。酒を飲んでも「かなしみの滓を啜るごとくに」いやみな後味が残り、「心に淋しい影がさす」のは、やはり文学徒の感性というべきで市井のいわゆる酒飲みとは違う。

 北海道に母や妻子を残し単身東京で雄飛を志した時期、職を得ず生活が成り立たない焦燥の中で歓楽の里に心を紛らす。

汪然わうぜんとして ああ酒のかなしみぞ我に来れる 立ちて舞ひなむ> (作歌明41.8.29、初出明星41.10)

 浅草で金田一京助とともに、遊ぶ前に酒を飲む。「酒を命じた。そして予は3ばいグイグイとつづけざまに飲んだ。酔いはたちまち発した。予の心は暗いふちへ落ちて行くまいとして病める鳥の羽ばたきするようにもがいていた。」(1909.4.29ローマ字日記)とあり、若干の虚飾はあろうが、突き上げてくる内なる意思は酔いと快楽を唾棄しようとしているようである。

 また、都会の中でのひとり身の哀愁をコニャックの酔いに乗せて(あるいは譬えて)詠う。

<コニャックの酔ひのあとなる やはらかき このかなしみのすずろなるかな>   (初出東京朝日新聞明43.5.26)

 朝日新聞で校正係として勤務していた時期であり、往時の銀座の憂愁を感じさせる。

 「一握の砂」には多数の酒を詠った歌があるが(24首)、自らの酒を詠んだもののほか、周囲の人々の酒に関する回想歌が多い。後者はどちらかというと酒により粗暴、諍い、不興にいたるようなものが多く、自らの酒を省みてそのような悪酒を厭う気持ちがある。

 一方「悲しき玩具」には酒の歌は5首しかない。
 生活に酒を飲むゆとりがない、そしてすでに酒を味わう体力がなくなったことの表われだろう。

<今日もまた酒のめるかな! 酒のめば 胸のむかつく癖を知りつつ。>  (悲しき玩具、初出早稲田文学明44.1)

 この歌を詠んでほどなく、明治44年2月には入院する。それでも退院後、自分の体力を試すがごとく、無理して酒を飲む。苦悩の現実からのつかの間の逃避でもある。

 ときには一時的に体調がよくなり、酒の後でもさわやかな目覚めのときもあった。

<すっきりと酔ひのさめたる心地よさよ! 夜中に起きて、 墨をるかな。>   (悲しき玩具初出)

 この歌で、何か啄木の重たい酒から解放されたようで、ほっとした気分になる。
 愉快な酒は少ない。豪快な酒など無論ない。
 酒は啄木の文学を高め、精神生活を豊かにしたとは思えない。歌からみるかぎり不安と寂寥から逃れるための待避所であったと言えるかもしれないが、そこにあっても内に決して酔わせまいとする力が潜んでいる。


煙  草
 ついでに、煙草についても少し触れてみる。啄木は生来の煙草好きである。煙草にかかる歌も多い。金がなくても、煙草はかなり高級のものを吸っていた。
 孤独を紛らすために、また孤独を確認するために、自己を見つめたいがために、こんなこともあった。

<空家に入り 煙草のみたることありき あはれただ一人居たきばかりに>  (初出スバル明42.5)

 結核で入院し体力が衰えてもなお、煙草が己を支える唯一の薬餌であるかのように手放さない。

<晴れし日のかなしみの一つ! 病室の窓にもたれて 煙草を味ふ。>  (悲しき玩具、初出文章世界明44.3) 

 体によくないことは知っている。でも―。
 小生の父は、親が年齢をとってからもった初めての男子のためか、田舎にいて中学(旧制)の頃には祖父から一服どうかと勧められ煙草を覚えたという。この歌は、病院での父の最後の煙草を思い出させる。医者が今度はもうタバコをやめなさいとは言いません、といっていたのを、ようやく許されたと思っていた。

<何もかもいやになりゆく この気持よ。 思ひ出しては煙草を吸ふなり。>  (悲しき玩具初出)

 作歌は煙草を吸うのと同じような効能がある。それ以上のことはない、という意味のことを、頭の中が歌で埋め尽くされた時期に日記に記している。(明41.7)
 歌作りを軽いもの、一時的な慰めの具と考えてそう記したのだろうが、逆に煙草と同じように離しがたい精神の拠りどころと思っていたのかもしれない。
 煙草は、沈む心にひとときの安寧を得るための生涯の友だったに違いない。

第11回−了−

(特記ない歌は「一握の砂」より)

('04/04)







「一 握 の 砂」 に あ る お 酒 の 歌


<田も畑も売りて酒のみ ほろびゆくふるさと人に 心寄する日>

<わが従兄いとこ 野山のかりに飽きし後 酒のみ家売り病みて死にしかな>

<酒のめば 刀をぬきて妻を逐ふ教師もありき 村を遂おはれき>

汪然わうぜんとして ああ酒のかなしみぞ我に来れる 立ちて舞ひなむ>

<演習のひまにわざわざ 汽車に乗りて 訪ひ来し友とのめる酒かな>

<こころざし得ぬ人人の あつまりて酒のむ場所が 我が家なりしかな>

<かなしめば高く笑ひき 酒をもて もんすといふ年上の友>

<若くして 数人すにんの父となりし友 子なきがごとく酔へばうたひき>

<さりげなき高き笑ひが 酒とともに 我がはらわたに沁みにけらしな>

<酒のめば鬼のごとくに青かりし 大いなる顔よ かなしき顔よ>

<あはれかの国のはてにて 酒のみき かなしみのをりすするごとくに>

<酒のめば悲しみ一時に湧き来るを 寐て夢みぬを うれしとはせし>

<出しぬけの女の笑ひ 身に沁みき くりやに酒の凍る真夜中>

<わが酔ひに心いためて うたはざる女ありしが いかになれるや>

<舞へといへば立ちて舞ひにき おのづから 悪酒の酔ひにたふるるまでも>

<死ぬばかり我が酔ふをまちて いろいろの かなしきことを囁きし人>

<いかにせしと言へば あをじろき酔ひざめの 面に強ひて笑みをつくりき>

<酔ひてわがうつむく時も 水ほしと眼ひらく時も 呼びし名なりけり>

十年ととせまへに作りしといふ漢詩からうたを 酔へば唱へき 旅に老いし友>

<コニャックの酔ひのあとなる やはらかき このかなしみのすずろなるかな>

<赤赤と入日うつれる 河ばたの酒場の窓の 白き顔かな>

<いつも来る この酒肆さかみせのかなしさよ ゆふ日赤赤と酒に射し入る>

<白き蓮沼はすぬまに咲くごとく かなしみが 酔ひのあひだにはっきりと浮く>

<今日よりは 我も酒などあふらむと思へる日より 秋の風吹く>

 



「悲 し き 玩 具」 に あ る お 酒 の 歌

<しっとりと 酒のかををりにひたりたる 脳の重みを感じて帰る。>

<今日もまた酒のめるかな! 酒のめば 胸のむかつく癖を知りつつ。>

<何事か今我つぶやけり。 かく思ひ、 目をうちつぶり、酔ひを味ふ。>

<すっきりと酔ひのさめたる心地よさよ! 夜中に起きて、 墨をるかな。>

<百姓の多くは酒をやめしといふ。 もっと困らば、 何をやめるらむ。>





煙   草   の   歌

<空家に入り 煙草のみたることありき あはれただ一人居たきばかりに>

<巻煙草口にくはへて 浪あらき 磯の夜霧に立ちし女よ>

<忘れ来し煙草を思ふ ゆけどゆけど 山なほ遠き雪の野の汽車>

<腹すこし痛み出でしを しのびつつ 長路ちやうろの汽車にのむ煙草かな>

<しめらへる煙草を吸へば おほよその わが思ふこともかろくしめれり>

<若しあらば煙草恵めと 寄りて来る あとなし人と深夜に語る>

(「一握の砂」より)


<うっとりと 本の挿絵に眺め入り、 煙草の煙吹きかけてみる。>

<晴れし日のかなしみの一つ! 病室の窓にもたれて 煙草を味ふ。>

<何もかもいやになりゆく この気持よ。 思ひ出しては煙草を吸ふなり。>

<胸いたむ日のかなしみも、 かをりよき煙草の如く、 棄てがたきかな。>

(「悲しき玩具」より)

<煙草のけむ ゆるやかに這ふ天井を眺むることが 癖のようになりぬ>

(「スバル第1巻2号」より)



以  上







啄木雑想目次
第1回:北上川 第2回:盛岡中学 第3回:北海道流転T-函館
第4回:北海道流転U-札幌・小樽・釧路 第5回:初恋・思慕 第6回:思  郷
第7回:秋  想 第8回:東京啄木散歩 第9回:新年・新しき明日
第10回:誕生・渋民 第11回:  酒   第12回:終  焉
啄木幻想:はじめの恋 啄木略年表 写真帖「啄木ゆかり」


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