2014年12月25日(水)
今年の漢字「税」
  2週間ほど前の旧聞に属するが、恒例の今年の漢字が京都・清水寺で大書され発表された。
  大方の予想を裏切って「税」とされた。日本漢字能力検定協会が公募、最多得票のものだから特に異論をはさむわけではない。
  その大方の予想は「嘘」(第3位らしい)だった。コメントに偽作曲家、STAP細胞、成りすましメール、号泣県議、に加えて慰安婦誤報道を上げていたのは、なるほどと思わせた。
  実は私の予想も同じ、「偽」もあるかと思っていた。外れたかと時事感覚のなさを嘆いた。
  が、「税」の字は、消費税引上げに対する国民(庶民)の静かな怒りの心の内を見せてくれた Nice Choice と思えてきた。
  この感覚が選挙結果には表れなかったのが、なんとも不思議。
2014年12月17日 (水)
総選挙の結果
  15日の第47回総選挙の結果を、記録のために載せる。
2014.12.15総選挙 |
| 小選挙区 | 比例区 | 今回当選 | 公示前 |
自民 | 223 | 68 | 291 | 293 |
公明 | 9 | 26 | 35 | 31 |
民主 | 38 | 35 | 73 | 62 |
維新 | 11 | 30 | 41 | 42 |
共産 | 1 | 20 | 21 | 8 |
次世代 | 2 | 0 | 2 | 19 |
生活 | 2 | 0 | 2 | 5 |
社民 | 1 | 1 | 2 | 2 |
新党改革 | 0 | 0 | 0 | 0 |
諸派 | 0 | 0 | 0 | 0 |
無所属 | 8 | - | 5 | 17 |
計/定数 | 295 | 180 | 475 | 479 |
  投票率はこれまで最低の前回(12年12月)を大きく下回る 52.66%(前回 59.32%)。
  下記の政党が上記の表から消えた。「維新」は「維新の会」から「維新の党」になった。()内は前回選挙獲得議席。
みんな(18)、未来(9)、国民(2)、大地(1)
2014年12月05日(金)
3年ぶりの京都紅葉
  11月下旬のウィークデー、体調不十分ながら3年ぶりに京都の紅葉を観に出掛けた。
  素晴しい紅葉に出会えた。
家を出るときにはタクシーに乗るまでのほんの数メートルでも傘が要るほどの雨。列車の中でも気をもみながら車窓を見る。
京都に降り立った時も小雨、駄目だったらなかなか行けないでいる博物館に行くことにして、ホテルに荷物を預け身軽になる。雨を気にしながらも雲の裂け目からちょっと日が覗いたのに勇気づけられ、東山方面へのバスに乗る。
まず永観堂。何度も観ているが今年の紅葉は殊の外素晴らしい。哲学の道を辿っていくと、
霊鑑寺が特別公開している。いつもは閉じられた門前を通り過ぎるだけだが、ラッキーだった。
後水尾天皇皇女入寺以来の尼門跡の寺院。京都で一番古いといわれる紅葉のほか、狩野永徳らの襖絵などを拝見。哲学の道を行き、
あの山門をくぐりたくて鬱蒼たる杉林の法然院に寄る。
  銀閣寺前に辿り着いたときには一番日没が早い時期、もう日が落ちていた。食事をとり宿に戻ったのは8時半を過ぎていた。疲れてTVを見ているうちにうたた寝、シャワーを浴びたのは25時に近かった。
2日目、いい天気になった。足に少し疲れが残っているが普通に歩けそうだ。以前(2006年。翌07年はライトアップの時間)いい紅葉を見た、長岡京の光明寺を目指す。
阪急烏丸から長岡京まで鈍行(が最新に来た)で20分ほど。駅で光明寺までのバスの便を訊いて満員に近いバスに乗る。寺門に近づくにつれ紅葉の朱赤色が鮮やかに見えてくる。紅葉参道の手前に土産物や飲食の仮設売店が多数並んでいたのは少々煩わしかったが、ここの紅葉も前回観たときより見事だった。
3日目、大徳寺、その塔頭の芳春院(この寺も秋の特別公開中)と高桐院。
それだけ、と言われそうだ。やはり動き回るのは難儀な年齢になったというしかない。
  (書きかけ、そのうち写真も入れます)
2014年10月06日(月)
十三夜
  昨日未明から長々と続いた強雨、今日は台風18号の襲来。が、諦めていた「後の月」が日暮れとともにくっきりと東天に現れた。 (蛇足だが、名月は陰暦8月15日の、後の月は9月13日の月。)
  ある程度の年輩の方なら知っているだろう「河岸の柳の行きずりに……」の「十三夜」だ。先月8日の仲秋の名月が「雨月」だったから、今宵は待たれる月であった。
  愛で楽しんでいると1時間ほどで大きな綿をちぎって広げたような雲に身を隠されてしまったが、その隙間からここに居るよと言わんばかりに明みを示す。
  いいね、とまた一献。
  ついでに月食のこと。明後8日は十五夜(陰暦15日の月、狭く仲秋名月のこともいうが)・満月で、皆既月食がみられる。18時15分に欠け始まり、19時25分~20時25分の1時間も皆既月食、21時35分に月食ショー?が終わる、という。
  これもついでだが折角だから、「十三夜」というこの歌の歌詞を。「浮いた浮いたと浜町河岸に……」の「明治一代女」とともになにか昔が見える気がする、とても懐かしさを覚える不思議な歌だ。
河岸の柳の 行きずりに ふと見合せる 顔と顔
立止り懐かしいやら 嬉しやら
青い月夜の 十三夜
夢の昔よ 別れては 面影ばかり 遠い人
話すにも何から話す 振袖を
抱いて泣きたい 十三夜
空を千鳥が 飛んで居る 今更泣いて なんとしょう
左様ならと こよない言葉 かけました
青い月夜の 十三夜
  実は2番はほとんど記憶にないのだが。
2014年9月11日(木)
11日
  今日は、あの大震災から3年半、米同時多発テロから13年に当たる日。
また、昔からの厄日二百二十日。
  語呂合わせだと「いい」日なのだが、西日本とりわけ広島や京都を襲った強雨が、今日は北海道や東北にまでやってきた。昨日は、当地は雨の気配もなかったが、東京も東部を中心に激しい雨の見舞われ道路冠水などの映像が流された。気象が変わってきていることは疑いない。
  広島の土砂崩れは見たことがない酷い光景を曝すが、懸命の捜索を続け行方不明者が1人になった。一方、あの時津波に呑まれた行方不明者は未だ1200人を超えるという。巨大、という語が改めて胸に迫る。
  ずいぶん昔聞いた名のウィルス感染症「デング熱」を発症した人が、100人を超えたという。海外との交流が増えたことの影響大だが、媒介する蚊の棲みやすい都会の環境も大いに関係していよう。これも温暖化の、ひとつの表れなのだろうか。
2014年7月09日(水)
今度は三回忌 (中身は秋田の美術館のこと)
  父の十七回忌の後は、この前の日曜日が義母の三回忌の法事。春の時刻改正で速くなった「こまち」で秋田に行く。ぐずついた天気が続く東京とは違い北東北は晴天で気温も高い。薄手のジャケットもすぐに脱ぐ。この稿、法事のことには触れない。
  藤田嗣治を常設展示する美術館に、時間を見つけて行くのを楽しみにしていた。駅前のホテルにチェックインして慌ただしく、千秋公園=秋田城址方面に向かう。途中の市のシンボル的建物「アトリオン」に、千秋美術館があると案内板にあったので違うよナと思いながらも入ってみる。準備中のようでガランとしている。目指す所ではなかった。

  40何年か前に行った千秋公園内の県立美術館に向かったが、昨年9月、堀を挟んだ反対側に移転していて、汗をかきながらようやく到着。
  秋田の祭や民俗を描く「秋田の行事」は縦3.65m、横幅20.5mの大壁画(左の図版)、以前にも観ているのだが、また圧倒されつつしばらく魅({見}ではなく「魅」)入る。「眠れる女」等他の10点ほどの絵も大作なのだが、この壁画の前には小さく見える。デッサン、下絵等もゆっくり観賞、大いに満足して、涼しくなり始めた街中に戻る。
  翌日、義母の三回忌法要を終え、2時間余の車窓を経て夕刻の仙台駅に降り立つ。最も古い友人と盃を交す。肴に、「アトリオン」の建築時の所長だった彼の苦労話を聞けた。何もやっていなかった千秋美術館に立寄ったのが、無駄どころかきわめて幸いだった。
2014年5月27日(火)
十七回忌
  父の十七回忌法事を先週、祥月命日の2週間遅れで催した。前日、雨の仙台駅に兄弟妹が集合、以前にも皆で泊まった作並温泉に宿をとった。
  前回の法事は4年前、このときは兄弟妹夫婦10人全員揃っての供養ができたが、今回は、事情は違うが2人出られなかった。次の機会は2年後の妣の13回忌。このときには全員集まれること願っている。先のことを考えても仕様がないが、その次の法事のときには自身は傘寿、そろそろ身自体が問題になる年齢で、みんな年を重ね全員揃うのは難しくなるかもしれないと思う。このところの病気や怪我などで少し気弱になっているかもしれない。
2014年5月20日(火)
富士山五合目
  先週半ば、昔の職場のOB会の総会・懇親会が河口湖畔のホテルで開催された。泊りがけで会を催すのは2年に一度、前回は手術後2か月余で遠出をするまでは快復しておらず欠席。
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(河口湖畔の宿から富士山) |
4年ぶりの今回も骨折入院等で必ずしも体調十分とはいえないのだが、富士山五合目に行けるというので思い切って参加した。
  夜の懇親会と二次会は、翌日のバスツアーや腹の調子を考えてアルコールはごく控え目にと思って臨んだが、結果は周囲に合わせ普通に飲る破目になった。
  翌朝起きがけにホールに出てみると、前日の濃霧に閉ざされたのとは打って変わって、絵に描いたようなまことに見事な富士が眼前にあった。
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(五合目から富士山頂方向) |
もうこれでいいやと思わず言うほどの素晴らしさであった。これまで何度も御殿場や沼津等富士に近いところでゴルフをしたことがあったが、晴天の富士には恵まれなかった。
  バスで富士スバルライン(というのだろう)で初めて来る五合目に降り立つ。眼前の山塊にはまだ雪がかなり残る。小御嶽神社に参るなど杖を持ちながらの好天下の散策は清々しい気分。昼食後忍野八海を見て東京に戻っただけの軽い旅行だったが、バスの窓から何度も富士を探しては、初めて近くに見る富士の姿に少々興奮していた。前夜の影響も、心配したがほとんどなかったのは幸いだった。
しばらくぶりに写真が入りました
2014年5月08日(木)
席を譲られた
  ゴールデンウィークが終わった。何をするでもないが、たまたま4月末の土日は続いて会合があり、出掛けた。その折の話。
  電車で席を譲られたのは、土曜日は20歳前後の若い男女別々のふたり、日曜日は20代後半の女性。いずれも普通の席に座っていたが、杖を持った小生を見つけて席を譲ろうと立ち上がった。
  バスはしょっちゅう加減速があるので立っているのは辛いが、電車は走行が安定したいるので30~40分程度ならどうということはない。その旨を伝えて「大丈夫です、ありがとうございます」とそのまま座ってもらったが、生まれて初めて席を譲られ両日大変さわやかな気分で会場に向かうことができた。改めて、ありがとう。
  一方、優先席には、相応しくない人が何人か居たのは、いつものことながら残念。
  連休の話題はこれだけ。いろいろな花が咲いては散り、立夏(5日)を過ぎとみに初夏の装いとなり庭の木々は葉の色が濃くなってきた。
2014年3月11日(火)
大震災3周年
  前稿からちょうどひと月、3・11の3周年の日になった。
  昨年よりもマスコミの報道が多かったように感じたが、「風化」が危惧される中で、関心を高めるのは困難としても多くの人が関心を持ち続けるのに貢献していると思っている。亡くなった方1万5,884人、今なお2,640人の方が行方不明であり、震災関連死を含め犠牲者は2万人を超えるという(14年1月)。肉親や友人を亡くした多くの人々、ふるさとを離れなければならなかった26万人もの人々。今、そして未来に生きなければならないのに、その手助けが疎かになってはいまいか。景気回復を殊更強調し東京オリンピック開催のムード盛り上げの陰に押しやられてはいないか。進んでいない、遅れている、との現地の声は大分疲れていると見える。
  元の暮らしをとり戻すのは容易なことではない。個人の力では不可能だろう。国や自治体の力の入れ具合が問われるのは当然だろう。
  わが家では庭の梅が、大雪や余寒の中、ほころび始めた。自然は律儀に帰ってくるが、人為はうろうろ漂うている。というてみても老・病の身で情けない思いのなかにある。
2014年2月11日(火)
大 おおゆき 雪
  週末8日は未明から終日雪が降り続き1969年以来45年ぶりの大雪となった。積雪記録27cm。土曜日だったので通勤などの影響は少なかったが、鉄道の運休、航空の欠航で迷惑をこうむった人は多い。
  前の時は転勤先に居たのでその状況は知らないが、今回は強風が降り積もった雪を吹き上げる地吹雪の様相は長い間記憶にない。気温が低く粉雪に近いものだったのだろう。太平洋岸を西から北に上り、その転勤先だった仙台は積雪35cmに達し1936年以来78年ぶりの大雪になったという。
  大雪の翌日9日は七十二候の「黄鴬見睨(うぐいす鳴く)」、皆、うんざりしながらあまり経験したことのない大雪を除けることに汗を流した。勿論うぐいすが訪おとなうことはない。
  東京は幸い日が差し気温がそれなりに上がったので、大分雪の嵩が減ってきたし、道路は普通に歩けるようになったが、積まれた雪はしばらくは残りそうだ。
  今日は11日、あの大震災から2年11か月、ひと月で丸3年、寒さが去らない。建国記念の日であることは認識しているが、勤め人を終ってからは祝日はあまり気にしなくなった。
2014年1月31日(金)
みそか正月・旧正月
  正月=1月の終りの日は、みそか正月あるいは晦日節という。
この晦日が今年はたまたま旧暦の元日に当る。
いずれの日とも、松の内に年始回りができなかった家を訪ねる風習もあったという。
  松の内はもう随分前のような気がするが、この間我に何らかの成果や前進があったのだろうか、と。かくして、決まり文句「月日の流れは速いナ」となる。
  中国では春節である。中国の正月は日本の正月と違って賑やかで大勢の人が寄りあう。今年は、鳥インフルエンザの流行で生きた鶏の取引禁じられたり、安全面の問題とPM2.5などの大気汚染から爆竹の打上げの自粛が求められたり(汚染程度が低いと規制されないらしいが)、贈り物を質素にしろと言われたりで、春節の高揚が抑えられそうである。国民の不満を募らせることにならなければいいが、と、他事ながら心配。発散の矛先が日本にも向けられることになると他事ながら、ではないかもしれない。こんな心配をする必要のない日中関係になってほしい、と春節を気に切に願う。
  間もなく立春、そういえば大分日脚が伸びてきた。我が脚もかなり回復してきた。今年は何かいいことありそうなと、日差しの明るさに根拠のない希望が湧く、旧正月である。
2014年1月04日 (土)
正月4日
  4日である。今年は暦の並びで多くの勤め人はまだ2日間の休みが続くが、三が日が過ぎ世の中は動き出した。スーパーなど大型店は元日から開けている所もあるが、今4日が初日という店がまだ主流だろう。帰宅ラッシュ?もピークらしい。バスは休祝日ダイヤではなく土曜ダイヤである。TVは撮り溜めした騒々しい(のが多い)、あるいは前のテープ(今は違うかな)を編集した正月番組を流しているが、ないと思っていた夕刊が届いた。8頁だての軽いものだったが。
  元日は穏やかな好天、30分ほど歩いて氏神様の初詣に出掛けた。この天気のせいかこれまでになく参拝を待つ列が連なり、待ち時間は1時間以上と判断、踝を返して帰ってきた。旧神札も納めえず持ち帰った。翌2日午後再訪、やや風はあるがこの日も雲一つない蒼天。いい散歩になった。
そう、初御籤は中吉、<苔むせる山の岩が根千代へても動かぬほどの心ならまし>。
「心を決めていろいろとさわがず迷わず今までの事をつとめればよし。何事にも手を出してはいけません。つねにひかえ目にして事をなさい」と。急がす慌てずゆっくりと、怪我のあと呟く呪文だが、余計なことをせずに、これで通して良さそう。
  4日と言えば、この歌―、
正月の四日になりて
あの人の
年に一度の葉書も来にけり。 啄 木
  年末ギリギリに投函したであろう賀状も昨日までに届いた。今日のものはほとんど年明けにポストに入ったものであろう。
  明5日は日曜日だが初競り、正月の威勢の良い風情の中に仕事が始まる。
  ごく僅かな人宛だが賀状には <叶ふまじと思へど希ふ初旦> と記したが、年が改まってからまだ一句もなさない。歳時記などを眺めながら、元日から4日迄の句を拾ってみた。
元日の空を流るる子の瞳 石原八束
二日暮れ今年も二日たちにけり 富安風生
三日はや雲おほき日となりにけり 久保田万太郎
三ヶ日早や過ぎ四日遅々と過ぎ 星野立子
ついでに松の内7日まで。
食積くひづみに覆ひし布も五日ごろ 原石鼎
正月もすこし古びし六日かな 三輪一壷
賀状机辺に散つて人日じんじつたよりなし 石原八束
2014年1月01日 (水)
今年こそ良い年になりますよう 平成26年 甲午元旦
永 寿 嘉 福
  昨年の一文字は「輪」なそうですが、なんとなく違和感がありました。紛争国の国内の相互理解の輪は勿論、世界の平和の輪が逆にかなり傷んだ年ではなかったでしょうか。
  新しい年が、世界を繋ぐ輪の再生の年になりますよう祈ります。
  本年も引きつづきよろしくご厚誼のほどお願い申し上げます。
  東京は、穏やかな新年の幕開けでした。初日はつひは見るみる明るく輝きを増し、すがすがしい元旦でした。そして今年もまた、あてのない望みを初日に託す、この歌を呟きます。
何となく、
今年はよい事あるごとし。
元日の朝、晴れて風無し。 啄 木
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