如雨と而酔のページ>日々雑想2013
     

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▽この年の最初の稿

2013年12月04日 (水)

 大震災から1000日


  朝6時のTBSで冒頭「大震災から1000日」と生島ひろしが伝えた。何かほっとした気がした。彼は気仙沼の出身で姉や親族をあの巨大津波で失った。そして朝刊を取りに行った。

大震災から1000日

  トップが「1000日」だった。特集の別刷りも挟み込まれていた。webで関連する色いろの記事があった。忘れないでほしいの願いは一応叶えられた。が、家がない、また劣悪な仮設で3度目の冬を迎えている。

2013年12月03日 (火)

 大震災から999日


  また前稿から丁度ひと月、あの憎むべき大震災から999日になった。 毎月11日は忘れない日付だが、一年を過ぎれば日数ではあまり言わない。
  どこの新聞やTV・ラジオが明日1,000日と言うか、マスコミが「風化」の中にいるとは思わないが、不謹慎ながら楽しみである。忘れないでほしい、から切に。

2013年11月03日 (日)

 楽天、日本一


  前稿から丁度ひと月、この夜、球団創設9年目の若い楽天が、最も伝統ある巨人を相手に大健闘、最終第7戦に勝ち、日本一に輝いた。ハラハラさせられたがいい試合が続いた。おめでとう、楽天、選手・スタッフの皆さん、東北の方々、東北にゆかりのある方々。そして、巨人ファン以外のプロ野球ファンの方々。
  TVに映る映像には、やったぜと腕を突き上げる人よりも、うれし涙の人の方が目立った。何となく東北人の喜び方を見たような気がする。
  未曾有の3・11大災害があった。まだ復興途次にある。そこでの日本一は、大いなる価値がある。
  今夜はとりあえず、ここまで。
田中将大投手は、前日の第6戦で9回160球を投げきったが今季初黒星を喫した。疲労が極に達していたと思われる翌3日の最終戦では3点リードの9回表に登板。何れも間違いなく自ら志願してのマウンドだ。監督も迷いながらも申し出を受容、結果最高のファンサービスのうえ、勝利を獲得した。美馬も辛島もよかった、嶋は投手の信頼を得て全試合立派なリードをした。

2013年10月03日 (木)

 10月、金木犀


  朝、2階の窓を開けたら、いい香りが入ってきた。金木犀の芳香が漂い始めたのだ。
  10月上旬はこの街はこの香りで満たされる。バスでもすこし窓が開いていれば、もう着くなと分かる。この一帯を開発した会社が土地、或いは建売住宅を売り出す際、各戸にこの木を植えた。
 我が家はそのときの木ではなく植木屋が植えた木だが、東道路に少しはみ出しながら細かい金色の花をつけている。秋は来ぬ、の、今日の始まりであった。

  今日は、50年以上前からの知人が後期高齢者になる日である。明日ももう一人、なる。 今も元気な先輩たちとの若き日々の思い出が浮かんでは消え、―。

2013年9月17日 (水)

 鬼城忌・牧水忌、ひやおろし


  今日は、村上鬼城の忌日(1938年没,73歳)であり、また、若山牧水の忌(1928年歿,満43歳)でもある。いずれも季語になっている。  「ひとり句会」と「おさけ」掲げる我がホームページにとっては、忘れてはいけない日である。
  <―― 酒はしづかに飲むべかりけり>の季節になりつつあるが、早々に予約していた冷おろし5本セットが12日に届いた。いまその冷おろしを楽しんでいる。
  秋の彼岸頃が初出荷だったのを2007年からだったか、理由は定かではないが重陽の節供(9月9日)に半月繰り上げて蔵出しされるようになった。本来冷おろしを味わうべき季節とは言い難いが、少しきつめに冷して飲るとやはり美味い。
  明後日仲秋の名月、その翌日は彼岸の入り。秋は本物になってくる。
      牧水忌迷はず頼む温ぬく め酒 

2013年9月11日 (水)

 あれから「2年半」とオリンピック


  11日という日は恐らく生きているうちは思いを新たにする日となるに違いない。今日はあるいは節目といっていい巨大災害2年半目の日である。また、アメリカ同時多発テロ12周年の、忌日でもある。

  8日(日)の早暁、2020年オリンピックとパラリンピックの東京開催が決まった。最終の「プレゼン」を聞き、前々稿放射能汚染水の処理に素早く470億円の投入を決めたのは、このためだったと確信、寝ぼけ眼ながらこれで消費税引上げは決まったと思った。だがこれを「四本目の矢」と言うは、これまで誰がどういう目的で招致しようとしてきたかを思えば、いかがなものか。
  マスコミによれば日本国中が祝賀ムードなそうである。が、果たして当然のことながら、被災地からは、こちらのことも忘れずにしっかりやってもらいたい、との声に溢れた。あきらめか疲れからかひ弱い言い方ではあったが、被災地は閑却されつつある昨今の空気に対する抗議であることは明らかだ。
  尤も、もし落選だったら、汚染水のせいといわれ、世界中からイビられ続けることもあったかもしれない。放射能対策を世界に公約したと考えることにしよう。

  ささやかな願いながら、どうぞ自らの利益や政策の「敢行」に五輪が使われるととがないように、と。

2013年8月25日 (水)

 秋よ来い


  こう暑さが続いては秋の句ができないと憾んでいた(力量不足は言わない)が、今朝新聞を取りに出たら小雨、久しぶりに涼味に会った。 暑さ処むという処暑(一昨23日)を過ぎてようやく出会った<新涼>に何か懐かしいものを感じている。
  今月は、最高気温29.1℃の2日以外、真夏日。猛暑日は3日にとどまったが、34℃台が7日ある。私算では、24日間の最高気温の平均は33.3℃。一方熱帯夜でないのは3日間だけ。
  ずいぶん長い間、会話は、暑い日が続きますねに始まり、お気をつけてで終る。家人には節約心を起こさずにエアコンをチャンと点けてといわれるが、さすがに言われなくても点けたくなる湿度の高い暑さの連続である。一日だけの中休みのよう、明日からまたしばらく真夏日の予報、ここに住む限り覚悟せねばなるまい。
  30分程度の散歩は、今日出られれば10回目になる。違和感は勿論多くあるが、少しずつ歩く自信がついてくるような気がしている。退院から今日で丸ひと月。

  秋の句は、まだできないそうもない。日中でも散歩に出られる秋よ来い。

2013年8月21日 (水)

 歩ける嬉しさ


  足首の骨折から丁度2か月経った。夕刻になってもなかなか涼しくならないが、ここ5日ほど日が落ちる頃、散歩に出ている。小公園までの往復、普段なら15分程度の距離を25分程もかけて、慎重に歩く。左手に杖、訓練のため半分は使わないで歩いてみるが、躓いたりしたら大変、あった方が安心、しばらくは持ち歩く。
  今日の診察で医師は、X線写真では新骨ができて骨折部分はしっかり着いている、歩く練習をしたらよい、由。借りていた松葉杖を返した。
  歩いた後など手術の痕跡が少し痛むことはあるが、また、30分程度の散歩でも疲れるが、次回からはバスで通院できる(雨さえ降らなければ)。こんな普通のことを嬉しく思うのである。多くの人の力を借りてようやくここまでたどり着けた。
  この日、同人俳誌自選句に次句を入れ、投函した。
     骨撮す日の蟻鈍のろ し杖の先

  甲子園高校野球の準決勝に岩手・山形の東北勢2校が残った。病院の帰り、応援の気持で昼食をカツ丼にしたが、両校とも残念ながら敗退した。

  酷暑が続く。節電は措いて、冷房(エアコンだったか)を適切に使おうとTVやラジオが呼びかける。水が足りない。作物、川魚が可哀想。全国いたる所で異常気象による災害が起きている。更に、福島第一原発では高濃度汚染水大量流出の人災も。その量が120リットルから300トンに変る不思議。魚が可哀想、海が怖い。

2013年8月06日 (火)

 今日、広島原爆の日。そして


  今日広島原爆投下の日、9日の長崎とともに人類が自らの手で犯した最大の極悪事。8時15分黙祷。

  仙台七夕まつりが今日から3日間。うち一日は雨が降ると昔から言われていた。初日に早速来た(ようだ)。秋田の竿灯まつりは今日まで。
  今日6日はまた、今年から、このふたつの祭の地に縁のある義母の祥月命日となった。1年前小生が放射線内部照射手術から退院して2日後の永逝であった。通夜、葬儀に行けなかったのがいまだ心残りである。そして、実は先月の一周忌の法事にも出られなかった。また、入院したのだ。
足骨折   夏至の日、雨の夜、大型スーパーに入る10段ほどの短い外階段を降りたところの、小溝をカバーするステンレス板に足をとられ滑って転倒、右足首を骨折、即入院。両側の脛骨をチタン合金プレートでとめる手術。自らは動けぬ体で5週間の無為にして無聊の空白時間を、多くの人の助けを借りて過ごした。あのアクシデントから既にひと月半、今もごくわずかな動きしか叶わず屋内の小さな空間のみに居る。
  数日前から松葉杖をおき、普通の杖で恐るおそる歩いてみている。階段の上り降りは別、一本の松葉杖に身を委ねる。幸い気になるような痛みはなく、先日のX線撮影では骨の部分の経過は順調な由、普通に歩けるまでの快復にはまだまだ長い時間の経過を待つしかない。
  明日立秋、時の移ろいへの感覚が少し鈍っている。

2013年6月29日 (土)

 ホームページ開設から丸10年


  勤め人として残り1年となるかも知れない思っていた時期(事実そうなったのだが)、Yahooのページを見ているうちに、なんとなくURLを貰ってしまった。ほとんど予備知識なしで始めたので、悪戦苦闘。手引書を見ながら手さぐりであった。体裁が整わないのは当然としても、中身も、勤務していたお台場、好きだった写真、関心があった啄木、好きなお酒、と脈絡のないホームページとなった。「ひとり句会」などを加えたが、脈絡のなさは今でも同じである。
  手探りでやってきたので、今でもHP作成のソフトを使わない(持ってはいるが却って煩わしく感じる)手作りである。体裁でそう気張ることもなかろうと腹を括っているが、問題は内容。「日々雑想」でさえ更新を怠っており、時折開いてくれる方に申し訳ないと思っている。
  10年、を意識したので、少しでも新しい記事を入れていきたいものとは感じている。
(原稿はできていたが、突然の入院でUPできなかった。10年の区切りということで表記日付のままとした。)

2013年3月31日 (日)

 いつものことながら恩田川花見


恩田川1

恩田川2
  毎年のことだが、28と29の両日、会下山橋の上流・下流に分けて恩田川の桜を観に行った。足の怪我で不自由な昨年も杖をつきながらも休まなかったこの時季の行事?である。 初日は予想どおり桜の状態も天候も最高の日、翌日もこれに次ぐ見頃で、日が少し傾きかけた頃吹いた風が時々花吹雪を演出してくれた。
  今年は前出千鳥ヶ淵のほか、前住地に近い代々木公園にも出掛け花見風景を見てきた。何か春の訪れの早さに追い立てられている落着かない気分だ。 恩田川3
  今日夕方近くになってから散歩に出た。早めの開花となった桜もこのところの余寒で、近所の公園の桜は花びらは微風に散るがまだ満開と言っていい状態を保っている。

  今日は年度末。この日が全く気にならない存在になってから久しい。勤め人時代は、その時どきの職場によって軽重や思いは異なるが、なんとなく仕事の区切りを迫られる、気になる日であったのだが。勤め人を始めた日からちょうど50年。

2013年3月25日 (月)

 毎年のサクラ、年々の東京の変貌


  今年は3月に入ってから暖かい日が続き、各地でソメイヨシノの開花日の記録が更新されたりタイに並んだりした。 千鳥ヶ淵 東京も16日に開花宣言、2012年と並ぶ最早 (<さいはや>と読むとどこかのTVの気象予報士が頑張っていたが、小生には<もはや>としか読めないが、言換えが思いつかないので使う) となった。東京近辺の桜まつりは慌てて1週間から10日ほど繰上げられたが、諦めた所もあるという。 千鳥ヶ淵
  あまり出掛けることがなくなった都心にたまたま用事があり、夕刻だったが、昨年は足を痛めて行けなかった千鳥ヶ淵に寄った(22日)。その写真を2葉。

  この開花宣言の日、東横線渋谷駅は2Fから渋谷ヒカリエ('12年4月26日東急文化会館跡地に開業)B5Fに移され、東急東横線と東京メトロ副都心線が相互直通運転を開始した。埼玉から横浜まで一本で行けるという触れ込みだが、東横線・他社線の乗換に時間がかかるし、長い歴史を持つ地下鉄日比谷線との相互乗り入れは廃止された。
  それから1週間後小田急線代々木上原―梅ヶ丘間が地下化され、下北沢など3駅が地下駅となった。東京中央郵便局の新ビル(JPタワー)に「KITTE(キッテ)」という商業ゾーンがオープン(21日)し、4月2日には新歌舞伎座のこけら落しとなる。昨年のことだが5月にスカイツリー開業、半年前の10月1日には東京駅が開業当時の外観に大改装され、完成。   東京は常に変貌しているが、'12年度のそれは大きかった。サクラはいつものように咲く。南無 大地震など来ぬように。

2013年3月11日 (月)

 「三・一一」 3回忌


  またこの日が巡ってきた。テレビもラジオも特集番組であの時と、2年を経た今を伝える。現地からの生の声も多く届けられた。津波の映像はあの時の恐怖感をあらためて思いださせた。
  涙も涸れ果てたというべき状況で残る力を振り絞り立ち上がっている方も勿論いらっしゃるが、先の展望が開けない方も多いと感じた。
  「震災関連死」を加えれば2万人以上の死者・行方不明者を出し、家族・親族・友人・知人、住処、土地、お墓、仕事、思い出、普通に生きる権利、を奪った(残ったのは命と絶望と借金か)大震災の「風化」が危惧されているのは悲しい。
  いまだに行方不明のままの2,668人をちゃんと弔ってやりたいと願っている方の癒えぬ悲しみは如何ばかりか。
  原発問題は方向さえ見えない。落ち着いたはずの原子炉は暴発しない程度の状態をようやく保っているのが実態だろう。巨大事故の原因究明ができていないばかりでなく、活断層の存在が覆い隠されてきたことが明らかになりつつあるのに、首都圏直下・東海・東南海・南海の発生可能性が高いといわれる中で、「原発ゼロ」政策は白紙見直し、と替った政権は再三強調する。
  次々に生み出される放射能汚染物質はどうしようとしているのだろうか。除染(移染?)でさえ処理場がなく遅々として、先が見えない。「風評被害」はいっこうに解消されない。避難者等数約31万5千人のうち福島県9万7022人(復興庁2月7日現在)。

  「三・一一(忌)」が季語になりつつある。同じ種類の季語に「震災忌」(関東大震災)、「原爆忌」(広島長崎への原爆投下)がある。もうこんな新しい季語はできないよう願う。
  昨10日は東京大空襲記念日(というより慰霊の日)、死者約10万人の恐ろしい人災があった。

  14時46分、市の防災警報放送に合わせ1分間の黙祷。そして、本稿。

2013年1月07日 (月)

 慌てずゆったりと……


  腹をこわすなどで年末からの運動不足を気にしていたが、少しでも解消しようと、2日に、散歩がてら往復1時間余の氏神の神社に行った。「詣でた」でないのは喪中だから。
  鳥居を潜らず横の道から境内に入り、神札所で例年のように御神札をいただき御神籤をひく。ツキのなかった昨年から一陽来復を願いながらも今年は欲張らず、
   <小吉に不平などなし初神籤>
という句を作り「櫻草」誌に投句していたが、望外の大吉のくじを授かった。
    春風の吹けばおのずと山かげの梅も桜も花はさくらむ
とある。病は病として受容れ、慌てることなく心ゆったりと過ごせばそれなりに宜しかろう、ということだろう。世の中、親族、家族、自身にとって良い年であるよう、改めて願った。
  今日、人日の節供、七草粥、関東ではおおかた松を納める日、松の内が終る。
初詣は松が取れてからと思っていたが、小正月を過ぎてからの方がいいかもしれない。


2013年1月01日 (日)

 一 陽 来 復     平成25年 癸巳元旦


新しい年が穏やかな良い年になりますようお祈り申し上げます。
本年もどうぞよろしくご厚誼のほどお願いいたします。
2013年扇 青空にして微風、東京はこの歌に詠いこまれたような元日になりました。


   なにとなく、 
   今年はよい事あるごとし。
   元日の朝、晴れて風無し。   啄 木


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