如雨と而酔のページ>日々雑想2005

     

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▽この年の最初の稿


2005年12月31日 (土)

 よいお年を


今年もお付き合いいただきありがとうございました。
どうぞよいお年をお迎えください。


2005年12月30日 (金)

 「京都もみじ'05」アップ


  ことしも今日明日のみ、大きなものが流れ去るような感覚がいつもの年末と同じように起こる。
  「京都もみじ'05」のスライドショーをようやく年内にアップできた。コメント等はこれから補っていく。かなり削ったが、自らの記録のためもあり、130枚ほどの写真を載せることになった。これでもか、の もみじ尽くしになったが、ざっと流して見てください。
  京都行からまだひと月余しか経っていないが、作業をしていて大分前のことのように思われて懐かしささえ感じるのが不思議だ。年の瀬のひとときの感傷か。
  よいお年をお迎えください。

2005年12月11日 (日)

 私流10大ニュース'05


  列島北から南まで寒い日が続く。今日冬至、ここらでちょっと今年を振り返ろうか。
① 総選挙で自民党圧勝。自民296〈+84〉,公明31〈-3〉:民主113〈-64〉(9月)‥‥小泉劇場、催眠商法?
② 耐震強度偽装で崩壊危険のある建物続々出る(11月)‥‥夢を奪い他人の命など知らずという犯罪、大いなる無責任と保身
③ アスベスト禍(7月~)‥‥不作為の大罪。以前にはエイズ禍が
④ マスコミを狙うIT新興企業-ライブドア:ニッポン放送・フジTV、楽天:TBS(3・10月)‥‥お金の力を試してみよう
⑤ 下校途中等児童を狙う殺害事件頻発‥‥「安全な国」ではもうない
⑥ JR西福知山線の快速電車脱線事故、死者107人、怪我549人(4月)‥‥効率優先の結果無惨
⑦ 中韓との軋轢深まる。反日デモ、靖国、竹島、海底油田開発‥‥近所とうまくやって下さい
⑧ 道路公団分割民営化(10月)、郵政民営化決定(10月)‥‥改革は進んでいるのです
⑨ 米国産牛肉の輸入を再開(12月)‥‥「安全」は言い繕っても「安心」は別
⑩ 金融機関のペイオフ全面解禁(4月)‥‥そうなんですヨ、忘れないように
<次点> 「愛・地球博」(愛知万博)開催(3~9月)‥‥あったようです

番外>は明るい話題
① 今年の世相を表す漢字は「愛」(12月)‥‥昨年は「災」、Sが落ちただけだが。愛・地球博、アイちゃん'Sの活躍
② スポーツ界女子隆盛=高橋尚子復活優勝(11月)、藍&さくら、女子プロゴルファー旋風、強力な女子フィギュア陣‥‥明るくさわやか

  今年も今日を入れてあと10日、これからすごい出来事が起こらないように。

2005年12月11日 (日)

 冬 に 入 る


  いつの間にか、晩秋の庭に彩りを添えていたキクもサザンカもすっかり容色を失い、常緑樹の緑だけが目立つようになった。
  この冬の訪れは早い。北国や日本海側での雪の便りが早めだった。東京もいつもよりずっと風が冷たい。関東も寒冬か、と洒落にもならないことを呟く。
  10日ほど先の22日は一番日の短い冬至だが、実は、日の入時刻は今の時期が一番早く(11/29~12/12が16時28分)、これからわずかずつ「夕方」が延びる。逆に今日の日の出は6時40分で、これから年明けまで遅くなる(1/2~14が6時51分)。<東京の場合>
  まだ冬の入り口にさしかかったばかりなのに、すでに明るい春を思っている。そんなに急いでどこに行く―、と言われそう。

2005年11月29日 (火)

 今年も京もみじ


  京都のもみじを楽しんできた。関西は秋になっても気温の高い日が続き、「出来栄え」が懸念されたが、在京3日、今年も好天にも恵まれ、問題なく美しい紅葉に出合えた。
京都光明寺のもみじ参道   今回は、嵐山にはちょっと寄ったが、大原野・西山にしぼった。
  まず善峰寺よしみねでらに向かう。京都市内が一望できる高みにある。やや人が多いが(JR東海がこの寺をPRに使っていたらしい)、広い寺域ではさほど気にならない。
  花の寺こと勝持寺、大原野神社も期待以上だった。法然上人の本廟がある寺=光明寺はさらに素晴らしかった。ただしもみじ参道はかなりの混雑。
  紅葉ではないが、勿論、長岡天神と聖徳太子創建という乙訓寺おとくにでらにも参拝した。
  6年前龍安寺から始めた御朱印が58社寺に及び、今回で御朱印帳全ページが埋まった。
  写真を整理し、またスライドショーにしてご覧いただこうと思っている。

※ 写真は、光明寺の紅葉のトンネル


2005年11月21日 (月)

 Qちゃん優勝


  Qちゃんこと高橋尚子選手が東京国際女子マラソンで優勝した。2年ぶりの走りは、初めのうちは右足の故障を気にしているかなとも見えたが、後半は、わずかに危惧はあったもののこれは大丈夫とだんだん確信を深くさせる軽快な走りだった。
  アテネ五輪出場を逃すことになったこの大会の、コース歴代3位の記録での優勝は、暗いトンネルを抜けてきて勝ち取った優勝だけに、単におめでとうというのを超えて感動的であった。
  優勝インタビューの中で、中高年も先の夢を叶えるために24時間の時間を生かせ、という趣旨のことを言った。ウン、とかすかに頷いた。
  初雪や初氷の便りも南下してきている。東京も今日はこの秋一番の冷えこみだったという。
  鳥インフルエンザの拡大・変異が心配な今冬、「人」インフルエンザに冒されないように体調管理に気をつけよう。何とか小さい夢を持ち続けるために。

2005年10月17日 (月)

 渋民訪問記、ようやくまとめました


  10月に入ってから冴えない天気が続く。日照時間が極端に少ないという。今日も朝から雨だが、昨日もほとんど終日雨、庭仕事も散歩も出来ず、思い出して、書きかけの「渋民紀行」をまとめることにした。
  もう3か月も店ざらしにしておいたので、もとの軌道に戻すのに時間がかかり、ディテールは大分省略した。
  それでも予想の分量より少し長くなった。夜半、一応小文が出来たのでUPした。(「渋民紀行」)先にUPした「渋民紀行スライドショー」に合わせた表題にしたが、中身からか見れば「紀行」というより「渋民紹介」のほうが適当かと思う。しかしそれにも中途半端だ。
  雨降りがさせた‘やっつけ仕事’と思ってご容赦ください。

2005年9月26日 (月)

 久しぶりの映画


  大分涼しくなった。寒さ暑さも彼岸まで、というが、東京はまさしくそのとおりであった。
お福=木村佳乃   肌寒ささえ感じる昨日、恐らく8年ぶりと思われるが、映画を見た。藤沢周平原作の「蝉しぐれ」。大作との前評判の高い映画である。
  解説文に、父は「冤罪によって切腹を命じられた」というが、主人公の運命を決める一大事が冤罪かどうか画面からは分からない、文四郎が父亡き後「懸命に剣と勉学に励み‥‥」も見えてこない。
「20年、人を想いつづけたことはありますか」、「初恋の人を一生思い続ける」というキャッチコピーは、何を言っているのだろう。 文四郎=市川染五郎「忘れ果てようとしても忘れられるものではございません」という主人公文四郎の台詞は2児をもうけてからのものだ。 などなど、スクリーンから伝わらないことが多かった。
  それでも2時間10分眠くはならなかった。風景の映像がきれいだった。久しぶりに見たから期待が大きかったのかな。年齢がもうそれほど感激させなくしたのかな。
  この時間には収まりきれない物語なのだろう。原作を読んでいなければ流れに付いて行きにくいかもしれない。
  帰宅したとき下弦の月が東の空から昇りつつあった。余韻がなくもなかった。

2005年8月21日 (日)

 地 震 だ


  送り盆の16日、仙台で強い地震に遭った。
  高校野球のTV観戦中であった。立ち上がって柱に掴まり、さらに強い揺れが来るかと身構えながらあたりを見ていた。黒っぽい円盤がヒラリと飛んだ。居間の掛け時計が隣の台所の1メートル先まで舞ったのだ。
  長い時間と感じた。東西方向の揺れが30cmほどとの実感であった。
  結果は戸棚の上の茶碗や調味料、サイドボードの中の食器、上に置いた飾り物などが落ち、仏壇の遺影・位牌等が倒れた程度で、被害僅少ではあったが(片付はそれなりに大変)、初めて経験した震度5で、本当に驚いた。
  前々日の14日昼前、お盆供養の読経が済むと、住職はすぐに仏壇の蝋燭の火を消した。それからちょうど48時間後の強震であった。

14日に我が家の直線距離60メートルの近所で火事があった(という)。この火事の原因は仏壇の灯明と帰京後聞き、あの時蝋燭に火が点いていたらと改めてゾッとした。16日は不安定な天気で夕方雷も鳴ったそうだ。
  私はその期間、家にいなかった。知らぬが仏というべきか。

2005年8月08日 (月)

 残暑お見舞い申し上げます


  8月7日は立秋、この日から‘残暑’見舞いとなる。が、残りどころか、東京では暑さの最盛期だ。平年値の気温でみると――
  年間で一番高い最高気温31.2℃は8月2日~9日、最低気温24.4℃は8月1日~15日の間続く。  9月1日になってようやく最高気温が30℃を切る。ちなみにこの日の最低気温は23.3℃で、最高・最低いずれも7月22日、いわば夏の入りと同じである。
  言葉の実感そのままなら残暑は9月からであるが、長年使っていると残暑という言葉からは真夏の暑さしか感じない。
  朝からアブラゼミが盛んに鳴き声を競っているが、7月15日初聞きのヒグラシが、今歌が上手になって夕刻の涼を呼んでくれる。とはいえ、酷暑、炎暑、猛暑、烈暑(昨年39.5℃のとき勝手に作った語)の折柄、御身お大事に。

2005年7月12日 (火)

 渋民に行ってきました


渋民の啄木歌碑   先週、黒湯温泉(乳頭温泉郷)の帰途、盛岡・渋民に行ってきた。
  盛岡に着いた午後3時、先刻までの強雨は上がり薄日さえ射していた。
  ホテルに荷物を預け、早速自転車を借り、啄木新婚の家や盛岡城址など市内のいくつかの歌碑などを急ぎ回り、渋民訪問の精神的ウォーミングアップ。
  翌日は曇ときどき晴。
  好摩駅構内の珍しい木碑から始め、渋民へと啄木の歩いた道を辿った。事前の勉強不足で見落した所もあるが、各所とも夏休み前の平日で訪れる人も少なくゆっくり見学できた。
  渋民は53年ぶり、啄木愛好者としては手の抜き過ぎと言われても仕方がない。
  いずれ「啄木雑想」に足りなかった写真を加えるほか、渋民めぐりをUPしたいと思っているが、とりあえず懐かしい啄木一号歌碑の写真を掲げる。
    <やはらかに柳あをめる 北上の岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに>

2005年7月04日 (月)

 低 投 票 率


  6月下旬に東京は真夏日が5日間続き今年も早々と真夏の到来かとウンザリしていたところ、のち梅雨らしい天候に戻った。昨日今日は最高気温23℃という涼しさ、湿っぽさはやはり不快だが、気温も高くて動くのが億劫になるよりはずっといい。
  7月4日、世界初の共和国・アメリカの独立記念日。
共和主義は単に君主がいない政治形態ことではない。本来「知恵と徳性を備えた市民による共同政治」である。それだけに教育が重要とされる。独裁制(独善制? 独走制?)とは勿論、衆愚政治に陥る危険性のある「民主主義」とも違う。
対岸、此岸とも危うい。
  昨今の選挙の低投票率や少年犯罪をみて、こもごも。

2005年6月01日 (水)

 庭に出にくくなる


  6月入り。June Brideという言葉がある好天のイギリスとは違って、梅雨の月というあまり歓迎したくない月かもしれない。東京で初めて天気予報が出されたのがこの日というが(明治17(1884)年)天気が気になる時期である。
  植物は育つ。元気な雑草は困りものだが、4月に種を蒔いたカブ、チンゲンサイはときどき食卓にのり、キウリも1本だけ採れた。ミニトマトはビー玉くらいのものが大分ついている。オクラやシソの収穫はしばらく先になる。
  虫や病気が気になるが今のところ被害僅少。ただ暑く感ずる日もあるようになり、すぐに蚊が何匹も寄ってくる。これからは庭に出にくくなる。
  今日は東京気象台設立に因む気象記念日であるが、また写真の日でもある。整理しなければ。

2005年5月01日 (日)

 庭 に 出 る


  長い間放っておいた狭い庭に野菜を植えつけようと、深めに掘り返した。ドクダミ、シダ、ブドウの根が地下を覆っていた。 菜の花
  昨秋11月ギリギリのタイミングで蒔いた菜の花とカブがひと月以上おひたし等として食卓に上り、残りは花となり春らしい彩りとなったのに気を良くしたというわけである。
  まず、カブ、チンゲンサイの種を蒔き、キウリ、トマト、ナス、アシタバの苗を少しずつ植え付けたところだ。とりあえず‘花より団子’志向である。
  定年後地方に住み畑を作るなどして悠々自適の生活をおくる人がいる。土にやすらぎを求め、生育と収穫に喜びと和みを感じるのだろう。小生も僅かな庭の空間に小さなやすらぎを求めているということだろうか。 (写真は10日前の菜の花。)

2005年4月21日 (木)

 コンパクトフラッシュ不良


  10日ほど前、初めて奈良・吉野の桜を観に出掛けた。今年はちょうど見ごろ、いい写真をたくさん撮ろうと256MBのものを求め、数枚のテスト撮り後フォーマットをして準備したのだが、――
吉野桜-中千本
    雨の中の吉野桜-中千本
  100枚ほど撮ったところでデジカメのメモリー(コンパクトフラッシュ=CF)が不良となった。京都・室生寺・長谷寺・奈良公園と、それまで撮影したのものがすべて駄目になった。他の写真とともに「さくら2005」とでも題して纏めようかと思っていたから、本当にがっくり。簡易なサブカメラの僅かな写真が残るだけとなった。
  CFを買った店には気を鎮めて一週間後に行ったが、勿論商品交換だけで補償はない。フィルムやテープ、CD、DVDなどの媒体素材も同じく買値の補償だけ、気をつけよう。CFのメーカーはサンディスクという。これまで東芝・ハギワラとともに使っていたが。
  ようやく購入できたCFで気を取り直して撮った雨の吉野の山桜を一枚。

2005年4月08日 (金)

 花 ま つ り


  今日は何の日、そうです花祭り、お釈迦様の誕生日である(ということになっている。キリストの誕生日は12月25日と’なっている’)。お寺では「潅仏会」が催される。幼いころ阿弥陀仏像などに甘茶をかけた思い出はないだろうか。
  四半世紀に亘って在位し、複雑な世界を見つめて行動してきたローマ法王の葬儀が今日行われることとの符合が何とも妙(おかしいという意味ではない)と感じている。
  クリスマスイブは賑やかで関係のない人まで大いに祝う(浮かれる?)のに、この日は閑却される。
  もう10年ほど前になるが、この日、職場の人にケーキを出したことがあった。「釈迦誕」ケーキである。みんな何のことかと訝った。
  昨日今日で東京は花(さくら)満開、世界中で宗教がかなりの力を持ってきているこの時期、ふと思った。

2005年3月31日 (木)

 桜 開 花


大輪の椿   期末である。昔は何かと忙しい日だった。今日は春の日差しを楽しんでいた。
  午後東京で桜(ソメイヨシノ)の開花宣言があった。気象庁の最初の予想(3/2)ではほぼ当たりの昨日だったが、8日・16日と2度前倒し修正、27日開花として外れた。その後気温が低い日が続いても最後まで再修正しなかった。
  桜が少々早く咲こうと遅かろうと大したことではない。気象のプロがただの10日間ほどの天気の傾向さえ分からないことが問題なのである。長期予報はハナから信用してはいないのだが。解説などせずに生のデータを出し読みは任せてはとさえ思う。
  大したことではない、とは言ったが、桜のない花見となる人もかなりいるのではないか。かくいう小生も明日1回目の花見、花は桜とは限らないか。
  で、庭の椿でも。一輪が8~10cm径の大きな花を、惜しまずつけている。

2005年3月01日 (火)

 弥生入りは名のみ-寒さが続きます


  逃げる2月がさーッと過ぎた。今度は本当の風邪をひき、下旬の3~4日を無為に過ごしたから余計そう感じる。久しぶりのゴルフもやめざるを得なかった。
  きょう弥生朔日やよいついたち、言葉のやさしい響きに心も和らぐが、真冬並みの寒さが各地に居座っている。
薬師池の紅梅。これでいい方でした。   月末、もう時機は過ぎたかなと思いつつ、やや気怠さは残っていたが5kmほど歩いて梅見に出掛けた。今頃見ごろだった昨年とは違い、樹種にもよるがまだ咲きはじめたばかりという木が多い。
  桜開花の10日前に咲き出す狭庭の豊後梅のつぼみはまだ花を思わせない。
見頃世の中、理不尽だったり腹が立ったりの出来事ばかりで、スポーツの話題以外にはいい話がない。季節は確実に移ろうが、こちらはいつまで冬のままなのだろうか。

2005年2月14日 (月)

 今年初めてのサクラ


翌2月15日の撮影です   今日は微風の好天に誘われて8kmほどの散歩に出た。時速5km余の速さで所謂ウォーキングというほどのものではないが、健康のため週4~5回は出掛ける。
  川沿いの遊歩道で、花をつけている幹径6~7cmの若木のサクラ(河津桜?)を見つけた。本年初のサクラである。カメラがあったらどういう角度かと思いながら少時たたずんだ。
  この木一本だけの先駆けの開花で、近くの木にはまだまだその気配はない。が、気のせいか他のサクラも全体がぼんやり赤みが見えてくる。
  春はもうすぐそこまで‥‥である。
(写真は、気になって翌15日に行って撮りました。クリックすれば大きめの写真になります。)

2005年2月07日 (月)

 春 の あ し お と


  「春のあしおと」。
  ときどき恰好をつけた言い方で使われるが、日差しの明るくなるこのころから、北国育ちの者にしか分からない(かもしれない)、思い出すとうっすら涙が出てくるような歌である。
  歌詞を掲げておく。1番の歌詞が大好きである。

薬師池公園 1.丘の陽射しは 明るくて
  雑木林の楢の芽が
  あかく煙って伸びるから
  春は ほらほら もうすぐそこまで来ているよ

2.銀色綿毛の ねこやなぎ
  ゆらゆら揺れて映ってる
  土蔵の影も光るから
  春は ほらほら もうすぐそこまで来ているよ

3.北風バッタリ ふきやんで
  とんびひょろひょろ輪を描く
  田んぼのたぜりも 萌えるから
  春は ほらほら もうすぐそこまで来ているよ

  曲は勝手に採譜したもので正確ではないが、こういう感じである。

  ついでに―、啄木雑想3(要クリック),5(自動開始)に「初恋」の演奏を入れてみた。

2005年2月03日 (木)

 発    熱


  今日節分、寒の最後の日。
  この冬は無事風邪は避けられるかと思っていたが、昨日、月一回の定例の会に出席するため出掛ける準備をしようとしたとき寒感を覚えた。体温計は36.9度を示していた。平熱が35度台の半ばだけにこれでも実は高い。様子をみようと新聞を広げていたがその30分後には37.5度、結局39.0度まで上がった。
  暖かい布団にもぐってもガタガタ震える。水分をかなり摂っても以前の高熱時のようには汗が出てこない。
  一晩かかってようやく熱が下がった。今朝35.4度、頭が重く節ぶしはだるいが、それほどの不快感はない。風邪?インフルエンザ? 何だったのだろう。
風邪予防に「タワシ摩擦」を勧めておいて自ら風邪では何とも言い訳がたたないのだが。
  昨日は母の一周忌の命日だった。

2005年1月16日 (日)

 年 明 け の 感 慨


  新しい年も半月が過ぎた。月並みだが、速い。冬晴れの素晴らしい天気の日もあるが、平年を下回る気温の日も多く、行動がやや鈍くなっている。
  年明け早々仙台に一泊後、岩手県南の田舎の親戚の葬儀に参列した。雪に覆われた田園風景は幼い時の情景を思い出させた。
  亡くなったのは父の従姉妹。これで姻族は別として「尊属」が居なくなった。すべて兄弟姉妹・従兄弟従姉妹レベルから下の親族だけになった、ということである。年齢を重ねてきた長い年月をふり返り、しばし懐かしくも侘しさの勝る感慨の中に居た。
  間もなく母の一周忌法要がある。


新年おめでとうございます。
  今年もこれまで同様よろしくお願いします 。
2005年(平成7年) 乙酉 元旦


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