2012年12月31日 (月)
よいお年を
小生にとっては楽しからざることの多かった年を送り、何でも描ける白紙の年を心して迎えようとしています。
今年もお付き合いいただきありがとうございました。
どうぞよいお年をお迎えください。
2012年12月30日 (日)
年男の「厄年」
  何度目かの年男という年、予定されていた入院手術のほかは順調に行くものと許り思って迎えた新年だが、入院手術の事後を含め、惨憺たる事態が続いた「厄年」だった。それも今明日で終る。
  男の厄年は数えで25歳、42歳(大厄)、61歳(女性は19歳、33歳(大厄)、37歳、61歳)と言われ、還暦の年が最後の「厄」(勿論後厄はあるが)とされているが、長生きの現代では、この年齢になると毎年が厄年なのかもしれない。
  とどめは、Xmasイヴの前日のノロウィルスにやられたこと。抵抗力が弱くなっているのだろう。幸い軽症だったが、年末の数日を無為に過ごし、片付、掃除が手つかずのまま残っている。家人に感染らないか心配したが、今のところ大丈夫のようで安堵している。
  我が家は義母の喪中なので年越・迎春の用意はしないが、午前用事に出た帰り徒然に門扉に門松・御飾がどれぐらいあるか数えてみた。50軒ほどの家や店、医院等のうちすでに飾りつけを終えているのはまだ8軒。普通、昨29日は「二重苦」といって忌むし、明日は一夜飾りで避ける。今日飾りつけをする予定が雨天のため遅れているのだろうか。この街はどうやら本30日が主流らしい。まったくの瑣末の話。
  気がついたが、今年は本欄に写真があまり載せていない。旅行にはおろか、近場以外ほとんど出掛けなかったので、文に添える写真がないのである。来年は健康を快復し、今年の分を取返したいものだ。
2012年12月30日 (日)
私選十大ニュース
  今年の漢字は「金」。ロンドンオリンピックで過去最多のメダルラッシュ、山中伸弥教授のノーベル賞受賞などの「金字塔」、また932年ぶりに全国的に金環日食観測された。2000年にも「金」が選ばれており、その年はシドニーオリンピックで、女子マラソン高橋尚子、女子柔道田村亮子が金メダルを獲得している。
  そこで私選の10大ニュースを。
① 衆院選で自公325議席獲得圧勝、自公政権復帰。民主党政権終焉(12月)。
② 山中京大教授にiPS細胞でノーベル医学生理学賞(10月決定)。
③ 尖閣列島・竹島の領土問題で中国・韓国との関係悪化。
④ 消費税引上げ法が成立。14年4月に8%、2015年10月には10%へ(8月)。
⑤ 原発全50基停止(5月).大飯原発4号機再稼働(7月)。
⑥ ロンドンオリンピックで日本勢史上最多メダル38個(7~8月)。
⑦ 東京スカイツリー開業。高さ634m(5月)。
⑧ 金環日食、932年ぶり広範囲で観測(5月)。
⑨ 民主党から52人離党.分裂(7月)、日本維新の会発足(9月)、新党乱立等政党多端。
⑩ 中央道笹子トンネルで天井崩落、9人死亡(12月)。
◇ 嬉しいニュース ◇
・ソフトボール女子世界選手権42年振り優勝。(7月)
・放鳥トキのひな誕生、自然界で36年ぶり。(4月)
  以上、記録のため。
  来年はいいニュースが続けばいいなァ。
2012年12月17日 (月)
小選挙区!
  昨日の総選挙の結果を、記録のために載せておく。
2012.12.16総選挙 |
| 小選挙区 | 比例区 | 今回当選 | 公示前 |
民主 | 27 | 30 | 57 | 230 |
国民 | 1 | 0 | 1 | 2 |
自民 | 237 | 57 | 294 | 118 |
公明 | 9 | 22 | 31 | 21 |
未来 | 2 | 7 | 9 | 61 |
社民 | 1 | 1 | 2 | 5 |
大地 | 0 | 1 | 1 | 3 |
維新 | 14 | 40 | 54 | 11 |
みんな | 4 | 14 | 18 | 8 |
共産 | 0 | 8 | 8 | 9 |
新党日本 | 0 | - | 0 | 1 |
新党改革 | - | 0 | 0 | 0 |
諸派 | 0 | 0 | 0 | 0 |
無所属 | 5 | - | 5 | 10 |
計/定数 | 300 | 180 | 480 | 479 |
  ついでに、政権交替選挙と言われた前回2009年8月の総選挙の結果も挙げる。際立つのは、小選挙区。
2009.08.30総選挙 |
| 小選挙区 | 比例区 | 今回当選 | 公示前 |
民主 | 221 | 87 | 308 | 115 |
国民 | 3 | 0 | 3 | 4 |
自民 | 64 | 55 | 119 | 300 |
公明 | 0 | 21 | 21 | 31 |
未来 | - | - | - | - |
社民 | 3 | 4 | 7 | 7 |
大地 | - | 1 | 1 | 1 |
維新 | - | - | - | - |
みんな | 2 | 3 | 5 | 4 |
共産 | 0 | 9 | 9 | 9 |
新党日本 | 0 | 0 | 1 | 0 |
新党改革 | 0 | 0 | 0 | 1 |
諸派 | 0 | 0 | 0 | 0 |
無所属 | 6 | - | 6 | 6 |
計/定数 | 300 | 180 | 480 | 478 |
2012年12月11日 (火)
「月命日」
  震災復興、原発、沖縄の問題が、総選挙での各党の主張には項目として掲げられてはいるが、どうも軽く扱われているように感じる。特定地域の問題と認識されているのだろうか。今日、3・11から1年9か月の「月命日」、冷たい雨に雪の混じる天気。そんな状態があれ以来ずっと続いているというのに。「風化」という言葉が悲しい。
  震災復興のための特別税が来年から課せられる。先日年金支給額の減額の通知があった。基準所得税額に対して2.1%の上乗せ課税、2037年までの25年間続く。(住民税は10年間均等割年額1,000円上乗)。復興にのみ使ってもらいたい。耐震化対策などと称してのばら撒きはやめ、早期に復興を成し遂げ繰上げて課税終了として貰いたい。
2012年12月01日 (木)
あたま悩ます師走入り
  冬季の俳句を見ていたら、
        「その内」はもう目の前に十二月 高澤良一(1940年生れの俳人)
という句があった。何年前の作句か分からないが、「近いうちに」を言い逃れながら逃げ切れずやむを得ず衆議院を解散した師走総選挙(12月4日公示、16日投開票)とぴったり符合し、何とも面白い。
  多くの政党が生まれては集合また離散し、選ぶのが大変だが、いずれにせよ今の政治を見直す機会がようやく巡ってきた。過半数を制する政党はないと言われる中で選挙後の政権の構図が全く示されないので、投票結果がどう使われるのか不安だ。混沌の状態はおそらく解消されず、また集合離散が繰返されるのだろう。挙句、衆参同時選挙などということにもなりかねない。
  原発、消費税、福祉、景気、環太平洋経済連携協定、憲法、沖縄、領土等 むつかしい課題が山積、何に重きをおいて候補者、政党を選んだらいいのか、思案が堂々巡りして悩ましい師走入りである。
  東京は知事選挙もある。
  全く関係ない話だが、「石川啄木WEEK」という催しが、12月14日(金)~20日(木)の間、八重洲ブックセンター(東京駅八重洲口)で開かれる。毎日違う10回もの講演やトークが、啄木没後100年の掉尾を飾る。東日本大震災復興支援、とも銘打っている。
詳細は、
http://www.yaesu-book.co.jp/events/ishikawatakuboku-week.html で。
2012年10月11日 (木)
大震災を風化させまい、と
  今日また「11日」。大震災から一年半余を経ても11日は特別の日だ。
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仙台東照宮の参道灯籠倒壊-こういう被害は何に分類されるのだろう。他にも方々に倒れた灯籠があった。一年前。 |
  この日、宮城県が3月11日を県条例に基づく「みやぎ鎮魂の日」とし県条例を定めることを検討しているという報道があった。原爆の日を想起させる、いわば県制定の半旗の日だろう。東日本大震災による被害は、宮城県が最も多く、死者・行方不明者が計1万887人に上り、建物の全壊は3万5315棟、半壊は15万1736棟にも達している。いずれも都道府県別では飛びぬけた数で悲しい「一番」である。
(10月10日警察庁発表)
  県はすでに1978年の宮城県沖地震の発生
(これは我が家には極めての大事件であった)した6月12日を「県民防災の日」とし防災啓発に努めている。膨大な被害を齎した巨大地震津波も風化しつつある憾みがあるこの時期、犠牲者の鎮魂を祈念しつつ震災の被害を再認識しつづけ、将来の地異天変に備えることは大切なことだろう。
  それにつけても、ひと月前の稿に記したが、震災復興予算の杜撰な使われ方には思うたび未だに腹が立つ。TV放映後ラジオマスコミが逸早く問題にし、つれて問題の重大性が政治の場でも採り上げられるるようになったが、政治の取組み方が何とも及び腰なことに、政局の具にされそうなことに、あらためて腹が立つ。病身には怒りは体に障る。
  iPS細胞(人工多能性幹細胞)を作りあげた京都大学iPS細胞研究所長の山中伸弥教授のノーベル生理学・医学賞受賞決定(10/08)が唯一気持を明るくするニュースだった。今後の展開に大きな望みを抱く。
2012年9月11日 (火)
大震災1年半
  今日、東日本大震災から1年半の区切りの日。死者1万5,870人、未だに多くの行方不明者(2,846人)がおり、34万3千人もの方が避難を余儀なくされていると伝えられる(5日現在)。
  こんな中、震災復興予算が無関係の事業に使われていることを報じる番組(9日夜NHKスペシャル)を見て本当に腹が立ち、最後までは見る気にならず部屋に戻った。屁理屈にもつかぬ妄言で予算の配分を正当化する役人は正気なのかとさえ思った。疲弊しがちな心と体に鞭打って復興に腐心する被災地の方の怒りは如何ばかりかと思う。被災地の支援のための所得税(だけではないが)の増税(来年1月から25年間)ではなかったか。
  腹が立ったり、苛立ったり、呆れたりのことが多すぎ、この頃はお気に入りの?ニュースを見て(聴いて)さえ草臥れる。
  今日、小生はといえば、震災に関するNHK番組を見ながら地震が発生した午後2時46分に黙祷するのみだったが。
  個人的な感想になるが、津波で1階をすっぽり奪われ2階に避難し九死に一生を得た友人が、残った家を活かし7月から新しい生活を始めたという知らせが届いた。この年になって最もうれしいことである。
  今日はまた、「九・一一」11周年、この背景にある状況は、首謀者が殺害された以外、進んでいないように見える。
  いい加減うんざりしている真夏の暑さがまだ続いている。手術後の体調快復が捗々しくないのはこの所為もあるか。暑さ寒さもその時までという彼岸が待たれる。
2012年8月09日 (木)
今夏前半のことども
  今朝みんみん蝉に目覚め、雨戸を開けたら、黄花コスモスが二輪咲いていた。

一昨日立秋、よく暦のうえでは、の枕詞付きで使われるが、昨日は朝夕は秋近しと感じさせる涼風が泳ぎ、一日中エアコンを動かさずにすんだ。勿論酷暑の夏は当分居座る。
全国的に厳しい暑さだが、電力は「大飯」再稼働もあって今夏は危険ラインに達することな<適正に>エアコンが使えてめでたしめでたしなのか
(ナノカ ヨウカ と戯れた昔もあった)。
  ロンドンオリンピックは終盤。金は少ないがメダルラッシュと報ずる。勝負は実力だけではない。運もつきものだから個々の敗戦については言うまい。それ以上に<チーム>の力が目立つ。呼び声高いなでしこジャパンは勿論だが、男子サッカー、体操男子団体、卓球女子団体、男女水泳400mメドレーリレー、フェンシング団体、女子バレーボール、バドミントン女子ダブルス、等々(順不同、思い出したら追加する)。仲良く結束、互いに補い励まし力を合わせ、自分のためにも皆のためにも(情けは人のためならず?)精魂を傾ける。<チーム>の力に日本人の美徳のようなものを感じている。北京の陸上400mリレーの銅メダルを思い出した。
  先月末初心者の俳句を羅列した句集ならぬ「習作集(羞渣句集?)」を作った。「
句集 飛沫
しぶき」と名を付けたが「稚句駄句(チクタック)集」「如雨句集=ジョーク集」でもよかったのだが。100頁500句。excelでの作成、眼がおかしくなった。
  今日長崎原爆忌。ごく最近退院し家で静養しているが、内部照射手術に続いて間もなく放射線外部照射治療が始まる。原爆は勿論原発の放射能はご免だ。
  6日広島原爆忌、小生の退院を待つようにこの日義母が逝った。先月中旬見舞いに行けたのが小生にとってせめてもの救い。間もなく盂蘭盆会、天に居るみなさまに、合掌。
  前稿から丁度ひと月。この先はもう起こらないだろういろいろなことがあった。
2012年5月08日 (火)
「無安打無得点」の負け試合の如し-東北観桜惨敗
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盛岡・石割桜 |
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角館武家屋敷通り |
  GW後半、北東北の桜を観ようと、怪我の足のことを考えあまり歩かずに済むバスツアーに加わった。
  一昨年4月連休直前にも行ったのだが、この時は弘前・角館とも未開花ないし咲き初めの木がほんの数本ある程度。昨年は5月7日に秋田に行く途次角館に下車、桜は半分散りかけていた。このリベンジができる筈であった。
  しかし、4月下旬急に気温が上がり開花が早まったところに、3日
(東京は2日の午後から翌朝まで荒れた)の強風雨に東北各地の見ごろの桜は痛撃され短い花期を終えていた。
  北上展勝地ー散り終り、弘前ー散り終り~8分散り、盛岡石割桜ー葉桜、角館武家屋敷・桧内川堤=葉桜、大仙市八乙女公園ー葉桜(分かっていたので立寄りもせず)、といった具合。
  右の写真は、上から、葉と蕊ばかりになった北上展勝地の「花」のトンネル、本来なら花に隠されてここからは見えないはずの弘前城、石割桜の「木」、柳と見間違える角館の枝垂桜の「木」。我が落胆のほどを分かっていただけよう。
  「完全試合」でなく「
無安打無得点」
と言ったのは、左のように弘前城址本丸跡の枝垂桜が唯一見ごろだったからである。強風雨の「エラー出塁とでもいうべきであろうか。
  この間天気の変化はめまぐるしく、晴・曇・雨・雷とみなあり、だが、晴れたのは3日合計で3~4時間、天気にも見放された。
  2日目弘前からその日の宿の八幡平温泉に行くときに通ったアスピーテライン、雪の壁は低くなりつつあったが両側に雪の残る景色を飽かず眺めていた。そして、翌朝わずかな時間だが晴れ間があり、山襞に雪をおく岩手山を車窓から楽しんでいた。この時だけがこの観桜旅行の慰めであった。
2012年4月13日 (金)
啄木100年忌

  今日13日は、石川啄木没後100年の忌日である。
  朝日新聞朝刊の投書欄に「啄木 終焉の碑に日の目を」との表題で
石碑の復活を訴える一文が載った。昨秋
「啄木雑想」の入り口ページの末尾に書いておいたが、4年ほど前土地の所有者が変わり、碑は撤去された。建築工事中の一時撤去と許り思っていたが、前の碑の設置場所付近は自動販売機で塞がれてしまった。都(ないし文京区)は再建の交渉をすべきと思うが、言を左右にして一向に動こうとしないという。
  何とも無粋な都・区の対応である。45年前に建てられたあの「石川啄木終焉の地」という石碑自体が文化財だと思っているのだが。
  今日は国際啄木学会のメンバー有志が集まり、再建の声を関係者に届けていることと思うが、足が不自由で参加できないのが残念である。
2012年4月10日 (火)
恩田川の桜満開
  前稿で「来週前半が見ごろかな」と書いたが、

週明けの昨9日と今日、会下山橋の下流と上流に分けて川畔を散策した。
昨9日はやや強い風が吹いたが青空が澄みわたる、今日は晴と花曇が半々の春の天気。微風に花びらがつつましく川面に浮き流れる。まだ蕾を残している木もあるが、まさしく見頃の状態にあった。
写真はまとめて、スライドショー「恩田川のさくら」として「写真帖」に載せたので、ご覧いただきたい。('12.4.15)
2012年4月06日 (金)
都 心 は 桜 満 開
  寒い日が続いて開花が遅れることを願っていたが(?)、今日午前東京のソメイヨシノが満開(開花は3月31日)になった由の放送。毎年目を楽しませてもらっている恩田川(町田市)の咲き具合を観に行こうと、出掛けた。

  実は階段を踏み違えて左足に怪我(捻挫+脛骨ヒビ)をしてから4週間。医者の見立てでは4週間で一応良くなり、まあ大丈夫といえるまでは6週間はかかる、とのこと。そのひとつの段階の4週間目である。
  10日ほどは痛みと腫れで殆んど歩行困難で松葉杖の厄介になる有様だったが、2週間を過ぎたあたりから階段以外はソロソロと室内を歩けるようになり、4週間目の今日は、歩幅40~50cm、時速2km/hの短時間(30分~休み休み1時間)なら歩行可能と自己診断、勇躍バスに乗り込んだ次第。

  30分ほど川畔を散策。5分咲の桜もあるが、3分咲程度の木が多く、来週前半が見ごろかなと安堵して帰って来た。今年は間に合わないかと諦めかけていたが、春が遅かったので何とか桜の写真が撮れそうだ。
  この間たったひとつ良かったことは、2週間休酒、その後もお酒は回数・量とも激減、肝臓は喜んでいるはず。
  が、今夜は、実は、出掛けついでにひと月振りに街に飲みに行きました。そこには知った顔が何人か居りました。
2012年3月11日 (水)
震災1周年
  今日あの忌まわしい大震災からちょうど一年目。
  1万5,854人がお亡くなりになり、3,155人がいまだに行方が分かっていない。
  何年かの後には、大震災・巨大津波「記念日」と言われるかもしれないが、記念日などとは絶対に言えない。あまりに巨きく激しくなまなましい。
  大震災は昨年の一字「絆」を育んだ。しかし、被災地にはあの時の被害の跡が広範に、荒々しく残っている。瓦礫はわずか6%の最終処分を終えただけで山積みされている。わが身可愛さで処理を手伝う自治体がきわめて少ないことも確かだが、復興計画が立っていないから処分方法も決められない、地元に処理施設を作れないでいることもあろう。関東大震災の瓦礫で山下公園ができたことは有名だが、道路補修や護岸、地盤嵩上げ等に使える「資源」かもしれない。将来像を盛り込んだ「復興」が急がれる所以である。
  大勢の方の熱い思いを込めた支援をもってしても、現地の人には苦痛に堪えるには長い時間だが心が癒えるには短すぎ、傷んだまま。ここ10日ほどTV、ラジオの伝える被災者やその親戚・知人の声には、胸が詰まる。

  2葉の写真は、ごく最近送られてきた自宅を津波に流された友人の住んでいた宮城県南部、福島県と境を接する山元町の住宅地の現在の様子である。居住禁止地域ではない。津波のさなかの写真は
昨年6月の稿をご覧願いたい。
  午後2時46分、東日本大震災1年の追悼式に合わせ黙祷。
  ここで野田首相は三つの誓いの第一に「復興を1日も早く成し遂げること」を挙げた。これまでの施策を
論っても詮ないことだが、格段にスピードが上がるとは俄かには信じがたい。が、現地の人が立ち上がろうとしているうちに、諦めないうちに、早く早く。頼む。

  我慢強さが特徴とされる東北人が、その「我慢強さ」のゆえに遅れる復興対策に翻弄され、明るくあるべき将来を取り上げられてはならない。
  あの大災厄を他人事とは思えず共有してきた日本人としての悲しみ、苦しみ、歎きは1年を経て徐々に薄れていくような危惧がある、風化することがないよう願っている。
  原発事故の放射能の影響は恐らく私の命の果てるもっともっと先まで長期間続く。地元福島は
フクシマと表されることも頻繁で言葉にならないほど気の毒だが、被害は相当広範囲に及び、これからも拡散する。海に放たれた大量の高濃度汚染水のしっぺ返しが恐ろしい。
  原発再稼働を容認する底深い流れがあるようだが、今回の事故が「想定外」というなら、住民と国土の安全を将来にわたって確保するため「想定」のレベルを思い切り上げて、せめて1000年に一度程度の災害ではビクともしないものにしてから議論すべきことだろう。
  ――などとは言うが、食べ飲み、笑い怒り、喜び歎き、睦み諍い、愛で疎み、作り毀し、会い別れ、病気になり怪我をし、という普通の生活を送っている自分に聊かの後ろめたさを感じながら。
合 掌
2012年1月01日 (日)
新しい年が良い年になりますよう 平成24年 壬辰元旦
  昨年の一文字とされた「絆(きづな)」を強めるための代償としては大震災・巨大津波は極めて大きい災厄でした。
  新しい年が、天地人それぞれ穏やかな良い年になりますようお祈り申し上げます。
  本年もご厚誼のほどどうぞよろしくお願いいたします。
  東京は、空にやや赤みが差したものの初日の出時刻は曇、太陽が顔を見せたのは少し日が高くなってからでしたが、元旦はどうしてもこの歌になります。
何となく、
今年はよい事あるごとし。
元日の朝、晴れて風無し。 啄 木
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