秋はその本質に愁いを含む。秋の心と書いて「愁い」である。「愁想」という語はありそうにも思うが、「秋想」はないかも知れない。
「一握の砂」には「秋風のこころよさに」という章を設けた如く、啄木のこの時期は、秋は愁いはあっても苦痛の時ではなかった。
秋は夕暮れ……、と枕草子にある。烏、雁、風の音、虫の声がいいとある。平安王朝時代からの日本人(大和びと)の感覚であろう。感じ方は違うが啄木もこれらを秋の歌に詠みこんでいる。
<岩手山 秋はふもとの三方の 野に満つる蟲を何と聴くらむ>
すだく虫の音が迫ってくるような山麓の中秋である。虫の声の快い喧
(かまびす)しさよ。
身は東京において心の中での遠望である。が、この歌が橋柱に浮き彫りにされている盛岡・中津川の富士見橋あたりをそぞろ歩いて、近くにあっても遠いふるさとを瞼と耳に呼び返している様の方が似合いそうだ。
富士見橋は、3年間通学した下小路中学校に入る道の反対側にあるが、当時はまだなかった。昭和56年3月の架橋という。
「小天地」発行の場ともなった新婚2度目の住居(加賀野磧町4)が近くにあったゆかりにより、新架橋に際しこの歌が記された。橋の欄干には1号しか発行されなかったこの文芸誌の表紙絵のケシの花模様があしらわれている。
橋の中央にベンチがあって黄昏の川面に思いを映す姿もいい。
清涼な空気の下での澄んだ虫の音、しかし、北国ではその期間も長くはない。秋の移ろいは早く、鈴虫の独り音に仲間を失ったもう一匹が遠くで懐かしげに応えるようになるのも早い。
盛岡市と玉川村を結ぶ笹平大橋の親柱にも、雫石の岩手山の御神坂登山口にも、碑があるという。
<霧ふかき好摩の原の 停車場の 朝の虫こそすずろなりけれ>
好摩は、盛岡盆地の北はずれ、東北本線(東北新幹線の八戸までの延伸に伴い今は「いわて銀河鉄道」という)の駅で、岩手山の裾野にありこの駅の先は高原から山となる。
啄木の頃は渋民駅はなく(※)、1里ほどの道程の好摩が最寄駅であった。渋民と同じく玉山村に属する。
啄木は盛岡に行くときも上京のときも函館に渡るときも、草深いこの駅を利用した。好摩駅を思い浮かべるとき、その折々の勇みたつ思い、悲しくも苦い思いが胸を去来したことであろう。
冒頭の歌と並んで啄木の代表的な秋の歌であるこの歌の碑は、もちろん好摩駅にある。珍しい木碑である。
他に、好摩稲荷山、好摩小学校校庭などにも碑がある。
※好摩駅開業は明治24年9月、渋民駅は昭和25年12月。
<神無月 岩手の山の 初雪の眉にせまりし朝を思ひぬ>
秋は、間もなく冬の匂いを含んでくる。盛岡では旧暦10月はしのびよる冬の姿が、岩手山の頂に見え始める。ああ神無月、今年は何を育み何を残し逝かんとするや。
これも、渋民の静かな秋を思ってか盛岡時代の情景を脳裏に浮かべたものなのかはつまびらかではないが、壮麗な「ふるさとの山」に思いを馳せた、清澄な味わいの一首である。
吐く息は白くなりかけ、襟の隙間に冷やかな空気を感ずる頃、すっきりと晴れた朝は、白く化粧し始めた秀峰が特に近く見える。小生には昔の実体験を思い出させる歌である。
渋民のコンビニ
(ヤマザキディリーストア)前、東北自動車道岩手山サービスエリア等に歌碑がある。
<父のごと秋はいかめし 母のごと秋はなつかし 家持たぬ児に>
独り東京にいて文学に打ち込む。溜め息をつき、ゆるい拳で頭をたたきながら自らを責め、また、哀れむ。満たされない生活からくる寂寥感とともに、浮かぶは父母の姿である。
<それとなく 郷里のことなど語り出でて 秋の夜に焼く餅のにほひかな> (明43.8)
東京で家族と一緒に住まうようになっても嫁姑のいさかいと貧しさで、心は疲れ果てる。そんな日々の中でも家族一緒に火鉢を囲み餅を焼く時がある。

故郷の話に久しぶりに会話がつづく。来るべき冬、歳末、正月‥‥、現実は厳しいが、懐かしい香りの中でしばし懐旧の想いに浸る。餅の焦げる匂いは幼き日々へのこころの渡し船となる。
<くだらない小説を書きてよろこべる 男憐れなり 初秋の風>(明43.9)
弱りゆく体に秋の風は沁みる。貧しさから逃れられず、自分の文学の居所にしようとした小説は必ずしも評価されない惨めさ。自負する才を発揮できないもどかしさを、秋の初めの日、こう詠む。
「悲しき玩具」は、啄木死後間もなく発行された。冒頭の歌は、秋の終わりの木枯しで始まる。
<呼吸すれば、 胸の中にて鳴る音あり。 凩よりもさびしきその音!>
なにを歌うのか木枯し、叫んでいるのか木枯し。凩の音を胸の中に聞く秋の暮‥‥。
この歌集に編まれた歌を詠んだ頃は啄木の人生は既に晩秋であった。「秋」という語が使われた歌は3首しかない。啄木のこの時期は、敢えて秋と言わずとも冷たく遅い暮れの秋模様が全編の背景だったのであろう。「悲しき玩具」の秋は、病から逃れ、生を求める叫びで埋まっている。
<何がなしに 肺が小さくなれる如く思いて起きぬ― 秋近き朝> (悲しき玩具)
病を得ると秋は寂し過ぎる。日々の賄いが満足にできない生活ではその侘しさは一入だ。生活の辛さ厳しさを秋の寄せ来る冷気に重ねてみる。
憐れみを通り越し、読むだにやりきれない思いを抱かせる歌ではある。
さて、枕草子の言う烏や雁はまだ現れないと問われるかも知れない。そう、本当は烏は啄木の秋には居ないのである。
<秋の空廓寥として影もなし あまりにさびし 烏など飛べ>
高く澄み渡る蒼穹に姿のない烏を遊ばせて、秋を感じる。透き通った空気の下での感傷とともに、あくまで高い天空に心を泳がせるこころのゆとりもある。
目に鮮やかな光景を浮かばせ、すっきりした心持ちにさせてくれる好もしい歌である。
一方、雁の方は飛んでいる。夜に渡り行く声に故郷を恋うこころがいや募る。眠られぬ夜は長い。
<秋来れば 恋ふる心のいとまなさよ 夜もい寝がてに雁多く聴く> (明41.9)
啄木には、若い秀作時代は知らず、秋の錦模様の紅葉を歌ったものはない。灼熱の夏のかすかな残り香を思うこともない。花鳥風月を詠む歌びとではないから当然かもしれないが、華やかさは秋を詠ずるに相応しくないと思っていたのだろう。
侘び寂びとはまた違う。自らの思いとはかけ離れた現実とずっと向き合ってきた彼には秋の季節は逃れがたい寂しさや懐旧の情が勝るときだったに違いない。
第 7 回 -了-
(特記ない歌は「一握の砂」より)
('03.11.06)