啄木は「望郷の詩人」でもある。
いや、思郷・望郷の歌として最もよく知られ、歌碑も多い次の2首によって、望郷の詩人そのものと認識されている。
<かにかくに渋民村は恋しかり おもひでの山 おもひでの川>
<ふるさとの山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな>

<ふるさとの‥‥>は、「一握の砂」の「煙 一」という盛岡時代を回想した章の締めくくりに置くほどの啄木自信作である。が、感極まって表現すべき言葉を知らない、出てこないという意味で「松島や ああ松島や松島や」という巷間芭蕉の作とされる句と同じ程度の歌であろう。
啄木の歌は分かりやすいものが多いことが膾炙した特徴ではあるが、しかし、これらは何とも淡白であり、有体に言えば文学的な深みも面白みも感じられない平凡な歌というしかないだろう。
われわれがそうであったように小学生が初めて触れる文学作品として位置づけるというのは如何だろうか。
前者は玉山村下田字陣場54啄木団地内、同渋民愛宕24 斎藤家玄関前に、また、
後者はJR盛岡駅前広場をはじめ、盛岡加賀野のオームラ洋裁学校前 盛岡本宮蛇屋敷の盛岡先人記念館裏庭等に歌碑がある。
一方、「煙 一」の序歌である、
<病のごと 思郷のこころ湧く日なり 目にあをぞらの煙かなしも>
(明43/11スバル初出)
は、その望郷の念を実にみごとに詠いあげている。人の心にある種の感慨を植え付ける力がある。像がある。中学生時代から好み親しんできた歌である。

盛岡駅から東に3キロメートル余、盛岡の旧市街のはずれに天満宮(天神さん)がある。ここは母校城南小学校から500mメートルほど、「啄木望郷の丘」と「啄木詩の道」のある岩山への入口というべきところで、杉の木立に包まれた薄明るい境内は幼心にも厳めしいものを感じたものだ。
この神社の本殿から一段下がった雑草に覆われたところ(梅林だったようだ)にこの歌を刻んだ盛岡では最も古い啄木碑がある(昭和8年7月建立)。筆跡を採字した碑としても最初のものだという。先日50年ぶりにしばし碑の前に懐かしく佇んだ。
啄木は、明治40(1907)年5月函館に向け発ってから渋民にも盛岡にも戻ったことはない。帰りたくとも帰れない故郷だからこそ、思郷のこころを掻き立てる。望郷の念抑えがたく、
<ふるさとの訛なつかし 停車場の人ごみの中に そを聴きにゆく>
(明4303東京毎日初出、「煙二」序歌)
のである。

ふるさとの懐かしい訛で話す人たちは次の発車の汽笛で故郷に帰るのだろうか、自分は帰れない―。浅草の夜に遊んでも虚ろで満たされないこころを故郷につながる上野の駅の雑踏に預けたのであろうか。
大都会の渦巻く人波と喧騒の中の孤独は今でもある、否、残念ながら今、より強くなっている。「癒し」という言葉が繁く使われようになった所以である。
<汽車の窓 はるかに北にふるさとの山見え来れば 襟を正すも>
(明4308作、スバル43/11・「煙二」)
故郷が近づく、懐かしさと少しばかりの緊張感とがふるさとの山に呼び起こされる。
この歌には少年時代の小生に実感がある。中学3年の終わりから高校2年の初めまで家族と離れて仙台に居たが、ふた月に一度ほどの帰盛の際は、必ず進行方向左側に席を取った。列車の窓からだんだん大きくなる麗峰岩手山を見つめながらこの歌をいつも呟いたものだ。
<なつかしき 故郷にかへる思ひあり、 久し振りにて汽車に乗りしに。> (悲しき玩具)
(明44/1早稲田文学)
昔の汽車は、束の間現実を忘れさせる旅の喜びを与えるばかりではなく、過ぎ去った日々に帰ることさえできるような思いを抱かせる雰囲気があった。
この歌の訴える思いも、多くの人が納得、共感できるのではなかろうか。
石をもて追はるるごとく出たかなしみの消ゆる時のないふるさと渋民であったが、耳に目に親しんだ閑古鳥(カッコウ)に託して故郷と去りにし日への憧憬を詠う。
<閑古鳥―― 渋民村の山荘をめぐる林の あかつきなつかし。>(悲しき玩具)
(初出)
<ふるさとの寺の畔の ひばの木の いただきに来て啼きし閑古鳥!>(悲しき玩具)
(明44/7新日本)
後の歌は、<
石ばしる、
垂水の上の、
早蕨の、萌え出づる春になりにけるかも>(万葉集・志貴皇子)を思い出す。「の」を重ねてせり上がリ、「いただき」に至る調子の見事さは、「の」重ねの見本ともいうべき万葉歌に劣らない。
<やまひある獣のごとき わがこころ ふるさとのこと聞けばおとなし>
(スバル明43/11・煙二の第2首)
蒲柳の質であった啄木は、東京での生活に翻弄され病とも闘いつつ文学を追いつづける。疲れ果て、荒ぶ心でもふるさとの話が出れば癒される。
啄木はいわば故郷喪失ともいえる状況にあった。それだけに激しく故郷を求め、また、求め続ける。
「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの ― 」(室生犀星)
望郷とは、失われたふるさとへの渇望、ふるさとに届かない焦燥のこころであろうか。
第 6 回 −了−
(特記ない歌は「一握の砂」より)
('03.09.24)